田中角栄から連綿と続く無責任な拡大路線にNOといい、持続可能社会の確立を強力に推し進め、反原発、反借金、なんて路線を一国の宰相が言い出したら、ま、キチガイ宰相決定ですわな。経済界は言わずもがな、世間の枠組み全部を見直さざるを得ないので、不確定要素だらけ、あらゆる予測資料が無に帰し、国の根本がゴロッと変わってしまう。官僚は反対する、ひも付きのあらゆる議員が反対する、経済界の太鼓持ちマスメディアも反対する、あいつはキチガイだ!下ろせ下ろせの大合唱となる。

うん、これが一番得心出来る現状況。

原発再開容認市長が現れたら、ストレステストを持ち出すと言う風に、財界と菅直人は血みどろの闘いを繰り広げている。
マスメディアは、「こんなことより、やるべき事があるじゃないか」と現状維持に加担する。国民はマスメディアしか信じない。

…もうすぐ菅氏、暗殺されるな。

みんなが迷惑な本当に良い事なんて目指すやつは、キチガイの烙印を押されて終わるだろう。国民の支持が得られない限り。


残念である。





「政治家は信念のプロではない、合意形成のプロである。」
この言葉が正しいなら、彼は政治家ではない。




おろし

2011年7月6日 日常
どうにもこうにも理由がハッキリしない。
誰も、ハッキリと「ここがこうだからダメなんだ。」と、言わない。
田原総一郎ですら、ダメらしい。でおさめている。

小沢との関係ならタイミング的に変だし、
もう、誰も彼も、
はっきり理由を言わずに、「とにかくダメなんだ。」の一点張り。

ここまでくると「菅は狂った」という想像が出てくる。
それならオフレコになるだろうが、それなら、ここまで居座れるはずもない。
ホント、何だろう。

震災対策が進んでいないと人は言うが、やるべき現場は、どんどん進んでいる。
自治体の首長は必死だし、要請は国がどんどん対応し次々形になっている。
そもそも一番上の人なんて人は、そんな事を決める人ではない。
もっと大きな事を動かすためにいる。

私自身の印象で言うと、
菅氏がダメだと、最初に思ったのは、震災の初日に現場をみたこと。
あれは心に傷を負う。
激務の始まる時に、心に傷を負うような事をした。
これが間違いだ。

そして、2つ目、国民に対する首相会見の酷さ。
もう、管ダメと確信した。

まあ、PTSD状態では、あんな会見にならざるを得ないだろうとは思うが
やるべき事を出来なかった。これで、ダメ菅決定。

イメージ的には、ここから菅下ろしにすんなり繋がるのだが、
ちょっと間をおいて始まった菅下ろし、なんかすんなり繋がらない。

ダメ菅と菅下ろしにギャップがある。菅下ろしは何か気持ち悪い。


少なくとも3種類以上の思惑が渦巻いて一致したように思える。

だから、理由がみえない。

自民党、これは明確にある。
民主党内の足引き。これはかなりグチャグチャしているが、つねにある。
しかし、
管以外が全て敵というのは、これだけじゃ説明がつかない。
自民から一人引き抜いて、共産党、社民党を足すと参院で自然エネルギー法案が通る。
そんな技を出しても、菅下ろし。

つまり、今居る議員全て、「それじゃ困る」のだ。

なんだ?

たぶん

「東電をヘッドとする経済界の利益誘導に真っ向から反発するキチガイ菅首相。」

それが理由なんだと思う。

原発の再開シナリオを描き、原発を旧に復する。
それが通常の首相の仕事。それを拒否するキチガイ首相。
無視して再開へひた走る経産省。
そんなところか。?。

では、なぜ、小沢は菅を最期に助けたのか。
小沢は、その先も見ている気がする。

チームタイガーは解放同盟。
今回の事件は、誰が仕組んだのか。
菅下ろしの一環と単純に考えていいのか?
民主党のアキレス腱をさっさと切ったんではないのか?
あんな男、ずっとあんな風だった事は想像に難くない。
これまでオフレコだったのが、なぜ、今なのか。

民主党内で粛清の嵐が吹き荒れているのではないか?
そんな事も考える。


そもそも「おろし」とはなにか。
古くは三木下ろし以来、何度も「おろし」はやって来た。
自民政権末期から、「おろし」は恒例行事化してきた。

「おろし」を選ぶ議員の心。
その後に欲が産まれる。

「おろし」と議員の欲。その力学をかんがえている。




今日の新聞を見て驚いた。

「牛生レバー禁止を検討 厚労省審議会、違反なら罰則も(朝日新聞)」

例え死ぬかもしれなくても、俺は生レバーが食いたい。

そんな個人の気持ちを政府が規制するな。

食って死ぬのは俺の勝手だ。

そんな事で店の人間を罰するな。

河豚の調理師免許みたいなのを作ればイイんだろう!
簡単なことだ。
なんで全面禁止だ!

「ひとつになろう日本」的に危険な匂いがする。

いま、真剣に文化が危ない。

戦前の匂いがプンプンして来た。

楽を取って、多様性を排除する社会は危険だ。
「あきらめろ、覚悟せよ、本物を作れ」
風評被害を乗り越えた水俣はどう動いたのか
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20110627/221147/?P=3

福島の風評被害に対して、水俣の人が動いている。

水俣は海は汚れたが、農産物には影響ない。
なのに、全く売れない。
電車の窓は、水俣を過ぎるとき閉められ、
バイクは息を殺し、猛スピードで走り、スピード違反で捕まる。
結婚できないから、出身地を隠す。

果てしのないイジメが水俣の街にあった。

福島も今後、同じ目に合う。

水俣は、風評被害に耐え、進む方向を変えた。
減農薬野菜をつくり、ゴミ処理リサイクルを進め、
水俣は、50年かけて、「環境首都」の評価を得た。

水俣の人は福島の人に、こう語る。
「あきらめろ、覚悟せよ、本物を作れ」




「いじめた人様は変えられないから自分が変わる」。

いじめられたとき、問われているのは自分自身だ。
できることを一つ一つ進めてゆく。
そして、本物になる。



あまりに、厳粛な言葉に出会い、言葉を失う。
ただ、引用するしか、何もできない自分がある。



放射能が怖いからと、逃げ出すことは簡単だ。
だが、それが本当の幸せなのか、よく考えて欲しい。

寄付金は、どの程度が一般的なのか?という疑問への解答になるか。

金額は報じられるが、自分のサイフの何%を寄付したか?
というのはあまり報じられない。

自分のサイフから何%出したかがわかれば、自分の寄付金も決めやすいってものだ。

そんな記事をみつけた。
森永卓郎厳しい時代に「生き残る」には(SAFETY JAPAN)
http://www.nikkeibp.co.jp/article/sj/20110628/275731/



例の孫正義の100億円寄付。
孫氏の個人資産が6800億円なので1.5%を占めている。


現在までの震災義援金総額と日本全体の個人金融資産で比べてみると
0.2%だそうだ。

500万円の貯金がある人は、1万円だした。って事だ。

孫氏の1.5%ってのは、500万円の貯金で7万5千円って比率だ。
うん、結構な太っ腹。親戚の結婚式ぐらい包んでいる。
ま、6800億円なんて死ぬまでに使い切れないんだから、基準が違うとも言うが…。


寄付文化の根付いているアメリカの年間寄付総額は2000億ドルで
比率としては0.44%とのこと

500万円の貯金があると、年間2万2千円を寄付している計算。


んー、文化の違いを感じるなぁ。
ま、平均だからね、
金持ちがもっと寄付しろ!って結論にしておこう。





朝日新聞の論調が変わった。

不確かだが、記憶のみで概略を書く。

管総理は、電力業界との敵対心が以前から強くあった。
市民運動出身の管総理は、風力発電を推進しようと視察したが
東電がその風力発電所を買い取って、数年後、「採算性があわない」と事業廃止した。
それ以来、東電には深い懐疑の念を持ち続けていた。

今回の震災後、管総理は東電を筆頭に置く財界と一線を引き、
東電と闘う姿勢を示した。それが管下ろしに繋がった。


・・・なんだか、こないだオレが書いたことを引き写しただけか?
なんて不遜な事を考えてしまうが、一面でこんな事を朝日がぶち上げた。

こないだまで、「管下ろせ!」だったのにね。

では、と、日経を開いてみる。

世論調査をしたみたいで、一面に大きく「管総理、退陣要求46%」

やはり財界よりの日経は、「管下ろせ!」のままである。



ま、マスコミのリードで世論がどこまで動くのかわかりませんが、
私の意思は変わらない。
しばらくは原発。
原発は自然消滅する法律を作る。
その間、代替電力を30年~50年かけて軌道に乗せる。

その目的のためには、現状、管総理で行くのがよさげ。

自民党にするのが最悪。
フクイチ以前へとじわじわ逆戻りするだろう。
自民党の若手議員さんたち!頑張って未来の絵を描いてね。

原発即時全廃!なんて言ってるファンタジーな連中は、論外。
原始時代に帰ってハダカで暮らしてください。




てなことを言っている間に、
こんな記事。
「原発3社、震災後の意外な検討」(日経ビジネス)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20110623/221086/?rt=nocnt

震災で、原発を作ってきた三社、東芝・日立・三菱は大儲けしているようです。

各電力会社が、原発の耐震補強工事を発注しまくっているので、通常2000億円程度のメンテナンス費が1000億円程度上積みされているとか。
儲かってますねぇー。

もちろん、電力会社が発注しているんだから、私たちの電気代で支払ってるんだよね。

ほんと、独占企業なんて、どうにかしないといけないよ。ほんとに。



原発メーカー各社は、PWRを押す考えのよう。
フクイチがBWR方式だったからPWRなら安全と言いたいらしい。
関係ないと思うけどね。

三菱重工は、電源喪失対策を策定したとのこと。
こんなのが策定されて、
対策を施したから、老朽炉も再開。なんて路線を走っているようです。

気をつけて!





街かど防犯カメラはまだ調整中のようだけど、
新設されたぶっといポールに、札が付いた。

なんだか安心するネーミングが欲しいと思っていたが
フタを開けてみると
「防犯カメラ作動中」が日韓中英の四ヶ国語で書かれてました。

ああああーーー、なるほどーーー。って感じ。

諸外国の犯罪者の方々に威嚇をしているわけですね。


なーんか、ギスギスした感じ。

もう、こんな街に住んでいる方が悪いって事だよね。


こんな表示のある街、住宅価格は下落するだろうし、
犯罪者が「犯罪する人多いんだな」と思うだろう。
カメラの視界を計算して犯罪を犯す。
いたちごっこの始まり。


防犯を人手でやらずにカメラに任せる。

これは、イコール「防犯に手を抜いている」って意思表示。

あーーー、やだやだ。



信号のLED化で球切れ交換の職を失った警察族が、新種の利権を産み落として街の価値を下落させている。

そんな風に感じた。
◆ピントは後から合わせればいい──米企業、画期的なカメラを製品化へ
(ITmedia Eenterprise)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1106/23/news099.html


いわれてみれば、簡単なことだと思う。

カメラに入ってくる光を全部記録しておけば、後からピントを合わせればいい。

んんーーー。
そうなると「撮影」ってなんだ?
瞬間を切り取ることか?

デジカメでムービーも撮れるぞ、あとから「瞬間」も切り取れるぞ。

「瞬間」と「ピント」と「画角」が後から決められるなら、
「撮影」ってなんだ?
ただのイベントか?
イベント開催が「撮影」って意義か?

わからなくなってくる。

撮影A氏、プリントB氏。なんていう写真まで出来るってわけだ。

その時の「作者」って誰だ?
「著作権」ってなんだ?

老人には、わけがわからなくなってきた。

ああ。

核反応への反応

2011年6月22日 日常
どうして原子力政策がこんな事になったんだろう。と
そういうことを考えてみる。

原子力は少ない燃料量で大量のエネルギーを得られる夢の技術だ。
という側面と
対処法が未確定の毒を大量に出す。
という側面、

その両方が、推進派と反対派が勝手に叫んでいて、
同じ天秤の両側に乗っかっていない。

だから議論が全く進まない。


無限の電力確保は夢の生活を与えてくれる。
未確定の毒は、無限の恐怖を連れてくる。

原子力技術を推進するなら、毒への対処をキチンと確定させるべきだ。

対処法が確立されれば、恐怖は軽減される。

そんな、根本的な議論が全くなされていない。


毒性の研究なんて、動物実験でいくらでも進められるもんだと思うのだが、
暫定基準なんてやってるようでは、それほど進んでいないように思える。
もちろん、人体実験なんてできるわけもないし、
確率的影響に関しては、数十年の経過観察が必要だろう。
私も不勉強なので、どんな研究がどの程度進んでいるか全く知らない。

なぜ、全く知らないのだろう。

人類に重要な技術なら、基本的な知識は学校で教えるべきだ。
そんな教育は受けてこなかった。
たぶん、いまの若い人も受けていないと思う。

なぜだろう。

軍事機密という面はあるだろう。

しかしながら、カーン博士が技術流出させ、誰にでも核技術が使える現在、
毒性研究と対処法の周知徹底は、人類にとって一番共有するべき情報ではないのだろうか?

核への対処方法がわかれば、軍事的威力は相対的に減ってしまう。
しかしながら、原発がこれほど建設され、核爆弾が一般化されているなら
放射能への対処方法は、もっと積極的に研究されるべきだし、
研究成果は積極的に周知徹底されるべきだ。


そんな議論が全くない。


それは、きっと、「原爆」による戦勝国アメリカと敗戦国ニッポンが、
「原爆」というものへの共通理解を打ち立てることもせず同盟国になっている。
という、このあいまいさの中に全ての根っ子があるのではないか?


みんなが、「それには、触れない」ですましている。

天秤の両端があまりに遠すぎるので理解できないのだ。



推進派は、反対派の言う事を
反対派は、推進派の言う事を
お互いにもっと理解しないといけないのではないだろうか?

もっと、もっと、議論が必要だ。
恐怖ではなく、理解と議論だ。


私は基本的に原発反対だ。

だからこそ、推進派の論点を理解しようと努めている。
自分の中で推進が近づいてきたら、反対派に戻る。
天秤ばかりの中間点はどこにあるのか、
常に、それを考えている。

それにしても、未確定の要素が多すぎる。
夢も多いし、恐怖も多い。

しかし私は未来を信じている。
必要な技術は、必ず開発されると信じている。

例えば被曝による遺伝子損傷を修復できるような医療技術があれば
原子力のリスクは一般的火災程度のリスクにまで軽減できるはずだ。
AIDSが克服されつつある今、
被曝医療の進展を心から望む。


「原子力はコワイ、絶対反対!」なんて事をやってると、被曝医療の道に進む人はゼロのままだ。
そんなことを言っている間にも、日本では54基、世界中で435基の原子力発電所が動いている。
日本人やドイツ人が原発を止めたとしても
フランス人が原発を止めるのは、いつの話だろう。
原発大国フランスには60基もの原発が動いている。
その間、いつ次の事故が起きてもおかしくはない。

例え今すぐ止めたとしても、更地に戻るまで30年。
その間、被曝の危険は去ることはない。

反対運動もいいが、対処法の確立が現実的な解だと私は思う。

そんな議論ができるほど、核反応への反応が静まれば良いのに
と、正直思う。


原発反対運動が、一過性の熱病になりませんように…。
この法案、基本的にいい法案だと思うんよ。
なのに世間はしらけたムード。

電力会社は、いま、口を開けない「世間の空気」だから何も言わないけど
(失敗した人にも発言権はあると思うんだが、それはまたいずれ)
代弁して、経済界は猛反発。
財界が反発なら、御得意様第一のマスコミは追従。
「法案はおいといて、菅が悪い。」という世論形成。

悪い人が持ち出した、良い法案には、シラけるしかない。

そんな流れ?

そして、電力会社の思惑通り進んでゆくのか?

財界は大事だ。
食いぶちなんだから。
みんなそれで食ってるんだから。

でも、原発はそれを超えた生存本能や、種の保存本能の問題だ。

私は、「当面の原発維持」には反対しないが、
「当面」が恒久化するのは絶対嫌だ!
30年ぐらいかけて、脱原発を達成するべきだ。
そう思っている。

そのためには、
ほおっておいても「脱原発になる仕組みづくり」が一番重要だ。

そして、大きな方向転換を行う時、鉄は熱いうちに打たねばならぬ。
財界にがんじがらめの議員どもの会議では、なんにも出来ぬ。

ギャーギャー騒いで骨抜きになる前に、この法案は無傷で通さねばならぬ。


そう考えると、市民運動出身の菅総理は、ダメ菅なりに頑張ってる。とも取れる。


しかし、世間は、全ては菅が悪いから。って風潮。
国会空転も菅のせい。
瓦礫が撤去されないのも菅のせい。
原発あるのも菅のせい。
俺が貧乏なのも菅のせい。


ま、いいけどね。
わたしゃ民主党員でもなんでもない。
菅がどうなるか知ったこっちゃない。
子供やまだ見ぬ孫の暮らしやすい世の中を望むだけ。

私は、小泉にも票を入れなかったし、
民主党フィーバーにも乗らなかった。
常に時代を読んで、人気のない方を選んで来た。
政治家なんて安心させたら腐る生き物だもんね。
常に緊張して仕事してもらいたい。


民主主義も共産主義も、結局は国民の技量次第。


マスコミに踊らされるのが国民の水準なら、
あたしゃ~、そんな世界でなんとか生きて行きますよ~っと。


「バンザイ!当たり前な社会の到来!」
って思ったんですよ。

悪い事したら罰せられる。

「防衛しない方が悪い」って社会には暮らしたくないもんです。
悪い事する方が悪い。

こないだのSONYへの攻撃の時も、なぜ、SONYの方が悪く言われるのか、ちょっとやだなぁと思ってたんです。
そりゃ程度の問題はあります。
カギかけずに留守にしてたら、SONYにも非はある。
でも田舎ならカギかけないのは当たり前。
要は程度の問題です

今の常識は、門扉に毎月暗証番号が変わるオートロックかけて
玄関に三個カギつけて
開けるのに30分かかる金庫おいて
その中の名簿は暗号で書いてある
っていうのが、「最低限」だったりする。

なんかギスギスした業界だなぁと田舎もんは感じるわけです。

一般人が普通に幸せに暮らせるインターネット世界で暮らしたい。
そのためには、警察がしっかりとしなさいよ!と思うんですが
なにぶんインターネット世界は新世界で未開の地、
蛮族が大手を振って歩き、自警団より山賊に歩がある西部の荒野。
戸籍や住民票すら、まだ整備されていない匿名の世界。

こんな荒野で暮らすには、
西部開拓史時代の銀行みたいにごっつい金庫置くしか無いわけです。

ホント、どんどん法整備をして、
誰もが安心なインフラ整備をしてもらいたいものだと
常々思っているので、この法案も小さいけれど一歩進んだと思うわけです。



思ってはいるのですが、
よく考えるとちょっと引っかかったんです。

例えばバッチファイルで「del *.*」と書いた時点でウイルスなんだろうか?
なんて疑問が…。
こんな自動化、山ほどやってますぜ、ダンナ。

このバッチファイルのファイル名を「当選しました.txt. .bat」なんて事にしたら、ウイルスなんだろうか?
ファイル名なんて規制出来ないっすよね。

それを送りつけたら、該当するのだろうか。

と疑問が



あ、そっか。
事件になるまでは、犯罪じゃないのか。
それでいいんだ。納得。



いや、橋本治のこの本を読んだわけではないのですが、
こないだ、「小田嶋隆のピース・オブ・警句」で知りました。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110609/220635/?P=1
日経ビジネス(ユーザー登録が必要)

もう、絶版なので入手不可ということで、
小田嶋氏が記憶でまとめたのが、下記。
1. 日本のオフィスでは、「我慢をしている男が偉い」ということになっている。

2. 熱帯モンスーン気候の蒸し暑い夏を持つこの国の男たちが、職場の平服として、北海道より緯度の高い国の正装である西洋式の背広を選択したのは、「我慢」が社会参加への唯一の道筋である旨を確信しているからだ。

3. 我慢をするのが大人、半ズボンで涼しそうにしているヤツは子供、と、うちの国の社会はそういう基準で動いている。

4. だから、日本の大人の男たちは、無駄な我慢をする。しかもその無駄な我慢を崇高な達成だと思っている。暑苦しいだけなのに。

5. 実はこの「やせ我慢」の文化は、はるか昔の武家の時代から連綿と続いている社会的な伝統であり、民族的なオブセッションでもある。城勤めのサムライは、何の役にも立たない、重くて邪魔なだけの日本刀という形骸化した武器様の工芸品を、大小二本、腰に差してして出仕することを「武士のたしなみ」としていた。なんという事大主義。なんというやせ我慢。

6. 以上の状況から、半ズボンで楽をしている大人は公式のビジネス社会に参加できない。竹光(竹製の偽刀)帯刀の武士が城内で蔑みの視線を浴びるみたいに。なんとなれば、わが国において「有能さ」とは、「衆に抜きん出ること」ではなくて、むしろ逆の、「周囲に同調する能力=突出しない能力」を意味しているからだ。


この橋本治の著書を引いたうえで、小田嶋氏は、下記の理由で「クールビズは達成不可能だ。」という結論にいたる。


 背広は権力だ。
 同時にそれは、権威の表象でもある。
 だから、オヤジはそれを簡単に脱ぐわけにはいかない。
 脱いだらさいご、魔法がとけてしまうからだ。王子様がヒキガエルに戻るみたいに。

 職場の服装は、地位を象徴している。逆に言えば、地位を表現しない服装は、働く者の身構えとして不適格だということになる。
 料理人が帽子の高さで序列を表現し、相撲取りの世界が番付に応じた細かい服装規定を引き継いでいるのは、気まぐれや偶然の結果ではない。彼らの世界は、そういうふうにして成員の力関係を確認していないと正しく機能しない。そういうふうにできているのだ。板場の見習いがシェフに向かってタメ口をきくようなレストランは信用できない。そういう調理場で作られるメニューは料理に不可欠な精妙な統一を実現することができない。地位はそのまま指揮系統であらねばならず、指揮系統は完璧なレシピを実現するためのシステムとして、常に正確に機能しなければならない。

〈中略〉

 地位は視覚化される。
 新入社員は、独身の若者らしい寝ぐせを帯びて出社し、課長は課長にふさわしいネクタイを選ぶ。もちろん執行役員は一目でそれとわかる仕立てのスーツで朝礼に現れる。そういう部分で行き違いがあったのでは職場の秩序は維持できない。
 かくして、血肉化されたサル山構造は、美意識に昇華する。

 とあるメガバンクの支店に勤務する入社3年目の行員・山田某25歳は、自分が選ぶべき背広の材質と値段と色について、もはや迷わない。それは、あまりにも一目瞭然だからだ。支店長に連れられて行くキャバクラでおしぼりを受け取る順番を間違えないようになり、ボックス席に座る席順を自然に選べるようになった頃から、彼は、ビジネスの勘所を理解するようになったのだ。スーツの選び方は、そうしたあまたあるビジネスマナーのうちのひとつに過ぎない。

 ところが、クールビズには、スタンダードがない。無論、美意識も備えていない。と、山田は何を着ていいのかわからない。課長がポロシャツだとして、オレがポロシャツでかまわないのか、そこのところの判断がつかない。とても困る。

〈中略〉

 40過ぎの腹の出たオッサンであるオレが、ポロシャツなんか着たらどういうことになる? オレだって自分が見えてないわけじゃない。最悪な結果になる。そんなことは、はじめからわかっている。ポロシャツにチノパンみたいなだらしない格好をして見栄えがするのは、若いヤツらだけだ。どうせ、山田あたりは5割増しぐらいに輝いて見えるんだろうし、それに比べたらオレなんか話にも何にもなりゃしない。一緒に並んだら映画俳優と付き人みたいな絵柄になる。冗談じゃない。

〈後略〉



そして、スーパークールビズ成功のためにはと続く、

 スーパークールビズを成功させるためには、なんとかして序列を持ちこまなければならない。

 たとえば、ダンヒルのアロハだとかバーバリーの短パンだとかを大々的に流通させる。カジュアルのブランド化。文春の広告特集とかがやっているアレだ。ヴィトンのスニーカー6万3000円だとか。悪い冗談みたいに見えるが、あれはあれで案外現実的なのかもしれない。
 役員クラスには、上下で40万円ぐらいする超高級リゾートウェアを着てもらう。
 ここにおいて、ようやくエレガンスが発生する。男のエレガンスは、シェイプやカラーには宿らない。あくまでも値段と肩書き。そこにしかエレガンスの拠り所はない。
 と、40代の課長で、5万円のアロハに3万5000円の革サンダルぐらいな見当になる。ボタンは白蝶貝に金の縁取り。そういうところに抜け目なくカネをかけて、しかるべきディグニティーを憑依させる。
 三年目の山田は吊るしのバーゲン品。ポロシャツの左胸にはケチャップの食べこぼしをあしらい、短パンは、あえてサイズ違いの一品を選ぶ。それぐらいのことはしないと上司のご機嫌を取り結ぶことはできない。

 とはいえ、道のりは遠い。
 「このアロハから見て、この人は課長クラスだな」という審美眼ないしは鑑識眼が、内外に共有されるようになるまでには、どう短く見積もっても五年やそこらはかかる。
 短パンみたいなブツを通して取締役の威厳を感じ取るに至る社畜な感受性が、若い世代のビジネスパースンの裡に果たして本当に育つのかどうか、先行きははなはだ心もとない。心配だ。



ま、このあとは、小田嶋氏の夢想が続くので省略するのだが。



なるほどねぇ~。と感心しきり。
さすが、橋本治だ。こんな切れ味の日本文化論を1984年に書いているとはね。
ただものじゃあない。


でもさぁ~。
スーパークールビズなんてわいわい騒いでいるけどさぁ。
おぢさんは、思うのよ。

「開襟シャツ」

っていう日本の伝統があって、
これは、正式な日本のビジネスウエアだったんじゃないのかね?

・ネクタイをはずす。
・上着をやめる。

この2点で、革命的に涼しくなる。
これを実現しているのが「開襟シャツ」だ。

もちろん、「革命的半ズボン」なんて不要だ。
むさ苦しいすね毛なんて、誰も見たくないし見せたくない。
すね毛剃ってるオカマや橋本治には、やせ我慢にしか見えないだろうが
すね毛剃らない以上、半ズボンは絶対我慢して欲しい。


それにしてもスーパークールビズ。
なぜ、「開襟シャツ」じゃ、イカンのかね?

エアコンが普及して、徐々に絶滅した「開襟シャツ」
エアコンが絶滅するなら、開襟シャツが復活すればいいんじゃないのか?

なぜ、「開襟シャツ」ではなくて、いきなりアロハなんだよ。
昔はホワイトカラーしかなかったけど、
いまならカラー開襟シャツを作れば良くね?

そこんところが、どーにもこーにも、わからんと思う、おじさんであった。



駅前の繁華街に監視カメラが付くようだ。

怪しい風俗街で、昼間は歳の離れたカップルが腕を組んでしけこみ、
夜は条例違反の客引きが横行する。

付近住民としては、ありがたいのか、情けないのか、ちょっと複雑。

建設中のカメラ支柱を見上げながら、「この支柱に『防犯カメラ監視中』と書かないと犯罪抑止効果はない」と考えた。

だが、「監視カメラ」のある街に住む。というのは、なんだかなぁ、という気持ちもある。
「防犯カメラ」もなんだか物騒だ。

いいネーミングがあればいいのだが。


「いい街カメラ」

「街づくりカメラ」

「安心カメラ」


うーん、ネーミングは得意じゃない。

たぶんで、面白げで、ジャストアイデアな憶測なんだけどー。


菅下ろしって、東電の反撃だったんじゃないの?



発送電分離とか、廃業命令とか、国有化とか、威勢のいい事言ってたけど
金を持ってるのは東電だし、
メディア牛耳ってるのも東電だし、
経済界は電気がないとニッチもサッチも動かないわけだよ。

太陽光だ!なんて理想だけぶち上げて
ファンタジーな反原発言ってる総理なんて辞めさせてしまえ!
って運動を財界・メディアに根回しして政界を動かす。


いわゆる、「うちを潰すなら、総理も潰す」って脅しではないのかな?


もし、そうなら、
東電への対立軸として、「発送電分離で喜ぶ財界人」を組織しなかった所が、
ダメ管のダメ管たるゆえんってことかな。
ま、市民運動出身はパワーゲームが苦手ってことですか。


そうなると、
原発イヤダー!って言いながら、管ヤメロー!って言ってるのって、どうなの?


ま、そんな憶測、楽しいよね。




5年後、発送電分離が実現してないなら、憶測じゃなかったのかもね。

よく見ていようね。


ふふん。

私は「廃炉基準」と呼んでいたが、「再開基準」という言葉になったようだ。

原子力発電所「再開基準」。

どのように進んでいくのか、聞こえる声はかなり小さいはずなので、意識して見つめないといけない。

たぶん、廃炉ゼロ。ということになるのではないか。

反対派の諸君、こころして、「再開基準」のゆくえを見守ろう。



■再掲載「福井の原発の年齢と発電量」


 名 称  運転開始 年齢 発電量
関電)
美浜 1号機 1970年 41年  34万kw
   2号機 1972年 39年  50万kw
   3号機 1976年 35年  83万kw


大飯 1号機 1979年 32年 117万kw
   2号機 1979年 32年 117万kw
   3号機 1991年 20年 118万kw
   4号機 1993年 18年 118万kw

高浜 1号機 1974年 37年  83万kw
   2号機 1975年 36年  83万kw

   3号機 1985年 26年  87万kw
   4号機 1985年 26年  87万kw

原電)
敦賀 1号機 1973年 38年  34万kw
   2号機 1987年 24年 116万kw
   3号機 2017年 未完成 154万kw
   4号機 2018年 未完成 154万kw
合計(未完成除く)      1125万kw




大阪が臭い。

2011年6月14日 日常
近年、どんどん、大阪が臭くなっている気がする。

車に乗っていて、信号待ちで止まった時、マンホールの上に止まったりすると、めっちゃ、クサイ!

昔はこんな事は無かったように思う。
高校の頃からバイクで走り回っているが、信号待ちでクサイなんて経験はしていない。

これは、小泉改革で、ビル建設の規制緩和でもあったのかな?
下水を処理せずに流しても良いようになったか?
なんて考えたりしたが、
戸建て住宅なんて、もともとそのまま流しているんだから、そんなはずはない。

水道局が下水の清掃を怠っているのか?
清掃費を仕分けられたのか?
理由は、どこにあるのだろう?

などと考えていた。


疑問は、ヤマダ電機のトイレで氷解した。

手を洗おうとすると、センサーが水を出す。
カランから出てくる水がシャワーだった。
「ほう、これは合理的だ」と感心した。

手を洗うのに、カランからあれほどの水を出す必要はない。
家の水道はバケツに水を貯めたりするから、がんがんでなきゃならないが、
ヤマダ電機のトイレで水をくむなんて、汲む方が悪い。
手が濡れればそれでいい。
それなら、シャワーで十分だ。
うーん、センサーだけでは飽きたらず、ここまで節水するかぁ。すばらしい!

ん?

節水?


そうだ、節水だ。

巷にあふれる節水トイレ、節水シャワー、節水手洗い。
ひとつずつは、節水でよい。
しかし、高層ビル全体でこれを採用したら、流れる水がガクンと減る。
大阪市全体で節水だらけになったら、どうなる?
下水に流れ込む水の量はめちゃくちゃ減っているのではないか?
半分とか3分の1とかになってたらどうなる?

ビルなら少ない水量でも、下に落とすだけだが、
下水管まで来るとほぼ水平だ。
流れる水の量が減ると、汚水を流す力が減る。流れない。
端的に言うと、下水管にうんこが詰まったままになる。

そりゃ、大阪全体、くさくなるわなぁ。

疑問は氷解した。

疑問は氷解したが、難問があらわれたような気がする。

どうすれば、臭くない大阪にもどるのか?
下水が流れなくて、伝染病など、公衆衛生は大丈夫なのか?



自分の利益で節水したら、公益がボロボロになった。

まったくもって、日本の縮図である。





2011.7.18追記
下水の匂いは、ビルピットの問題らしい。
最近のビルは、地下階にもトイレがあるなどするので、独自の排水槽にいったん溜めて、満水になるとポンプを動かし排水するという仕様だそうだ。
ポンプが動く時に強烈な匂いが出る。

やはりそこんとこの節水が問題なんだろう。と私は思う。
常時排気するとか対策はあるみたい。

自転車に思う

2011年6月14日 日常
景気は良くなっているが、従業員に配られず株主配当と化しているから、世間は貧乏な人があふれている。
バイクが虐められているせいで、クルマに乗れないひとは、みんな自転車だ。

てなわけで、ちまたに自転車があふれかえっている。

私に関して言えば、フルマラソン走って、スイム1500mをコンスタントに泳げるようになったんだから、あとは自転車で40km走れるようになればトライアスロンに出れるぞ。とは思っているのだが、この自転車というやつに、どうにもこうにも割り切れない思いがある。

法律と現状の問題だ。

法律では、自転車は軽車両であり、道路交通法の管轄だ。
車道を車と同じように左側通行をする。
法規制は守らなければならない。
赤信号も一方通行も守るのが決まりだ。

しかしながら、クルマとバイクと自転車が混在通行するのは非常に危険だ。
スピードも走行特性も違う。

バイクは初速が早く、クルマは最高速が早い。
ゆえに信号待ちではバイクは列の一番前まで行き、クルマから注目される目立つ位置に止まり、巻き込み事故を防ぐ。
青信号と共に一気に制限速度まで加速し、クルマを引き離し、クルマから離れて走る。
これが正しい走り方だ。

ところが、自転車はバイクの形だが初速は遅いのでクルマ的な加速特性だ。
一番先頭で、巻き込まれないようにするのは、バイクと同じだと思うが、その後は追い抜かれるしかない。むむむ。


カーブでは、バイクは内側に倒れ、クルマは外側に倒れる。
ゆえに、カーブでは、バイクはクルマの外側を走ってはならない。
速度を合わせるのが基本だ。

自転車は車やバイクのスピードが出せない。
車道の左端を走り、追い抜かれるのが基本である。
左カーブなら、内側だ。バイクがこちらに倒れてくる。
右カーブなら、外側だ。クルマがこちらに倒れてくる。
そして、自転車は漕いでいるので両側に振れている。

どこをどうとっても、混在交通というものは危険に満ちあふれている。


ということで、事故ゼロを目指す警察は、
バイクに関しては、法的にいじめ、排除する方向で進めてゆく。
自転車はなるべく歩道を走るように道路整備をすすめる。
「事故ゼロ」のためには、これが正しい。
正しいので、やなことがおこる。


そもそも自転車というものは、幼稚園児から競輪選手まで、いろんな人が乗る。
乗る人により特性がバラバラになるのが特性とも言える。
ヨーロッパでは、子供は歩道、大人は車道。車道を走るからには車に負けずに走る。それが大人だ。という暗黙の了解があるそうだ。

しかしながら、日本はママチャリ天下だ。
あれは、非常に危険な存在である。

車道を走れるようなママチャリライダーは、まず居ない。
歩道を堂々と走られると、歩行幼児には危険だ。
どっちつかずの中途半端な乗り物である。

それに加えて、自転車教育というものが全くなされていない。
「道路交通法を守らなければならない」ということぐらい学校で教えてはどうか?
まぁ、学校で教えても、世間の大人達が守っていない法律なんて、子供達が守るわけがない。

赤信号は無視が基本。
右側でも左側でもどっちでも平気で走る。
斜めに横断する。
どこでもUターンする。
傘をさして走る。これじゃ片手しか使えない。人工的かたわだ。
音楽プレーヤーを耳にさし、人工つんぼになって走る。
携帯電話でメールしながら、人工めくらになって走る。

まったくもって、フリーダムである。

車を運転していると、「君たちは当たり屋か?」と思うことがしばしばある。
この人工つんぼや人工めくら達を轢いても、自動車が悪い。
前方不注意で死亡事故なら数億円取られる。

まったくもって、日本という国は、ぬるい国だ。

せめて、警察は自転車もキチンと取り締まって欲しい。と愚痴を言いたくなる。




自分が自転車に乗るなら、自分なりにキチンと納得して走りたい。
しかしながら、納得して走れるのかは、とっても不安だ。

法律がややこしすぎるのだ。

例えば、一方通行。

生活道路の一方通行は、「自転車を除く」と書かれている。
御堂筋など大きな道路の一方通行は、無記載なので、一方通行だ。
自転車をキチンと乗るなら、一方通行マークのしたの「自転車を除く」を常に読んで走らなければならない。

そして、自転車道。

車道を走っていて、一部区間だけ自転車道路が設定されていれば、歩道に上がらなければならない。
設定が終われば、車道に戻る。
クルマに抜かれて危険がいっぱいの車道を走りながら、歩道に自転車道の設定があるかどうか常に気にして走らねばならない。
自転車道の設定があるのに、車道を走るのは、法律違反だ。


いやなのが信号機。

都会では、既得権益が無駄に建てた信号機だらけで、
ちょっと走っては止まるの繰り返し。
初速にエネルギーを使う自転車には不利だ。
どうせ乗るなら、ビンディングで靴とペダルは繋いで走りたいが、
都会の異常な数の信号機を見ていると、とても不可能と感じてしまう。

そうなってくると、一般道を走るのは、めんどくさくなる。
自然とコースは信号のない淀川河川敷に作られた自転車コースだけを走る。
なんて事になってしまう。

せっかくの自転車なのに、決められた場所でしか走れない。

なんだ?この不自由は?

フリーダムがきつすぎて、ちゃんとしようとすると途端に不自由になる。


そんなこんなを頭の中でぐるぐる考えているので、
いつまでたっても、自転車に手を出せない。

ま、あんなものに凝ったら、金がいくらあっても足りないからコワイ。
っていうのも、あるのだが…。


国際宇宙ステーションとスペースシャトルのドッキング風景を地球に帰還するソユーズが撮影した動画。
http://www.gizmodo.jp/2011/06/iss-and-spaceshuttle.html

人類の叡智の結晶は、地球を前に、こんなにもちっぽけなんだなぁ。
と当時に、一つ一つの部品に命をかけた技術者の数を思うと
これほどのことをやり遂げているんだなぁ。とも

これほどと、こんだけ。

人生って捉え方次第なのかも


ま、多分に音楽の影響ではあるのだが。

阪神・淡路大震災のとき、とんでもない巨額の無駄づかいがなされた。

それを人々は「復興」と呼んだ。

復興マンションが建ち並び、
復興高速道路はとんでもない高規格。
復興情報発信にも巨額が費やされ、私も潤った。

これは、関東大震災の「復旧ではなく復興」というかけ声を模倣したものだ。
不幸に落ち込み停滞するのでなく、
これを機会により良い未来を描き、経済を活性化させる。
今から100年ほど前、第一次世界大戦後の不況にあえぐ時代のアイデアだ。

今回も「復旧より復興」と当初から叫ばれた。

しかし、阪神・淡路大震災と今回の震災では規模が違う、エリアが違う。

阪神・淡路大震災は、比較的小さな地域にまとまっていて、市街地ばかりが被災した。
大規模に被災していない大阪エリアから近いというメリットもあった。
復興もしやすかっただろう。

今回の震災は、多数のエリアにとめどなく破壊し尽くされている。
付け加えて津波。
被災したのは広大な農地。
すべての地域を「復興」するなんて、金銭的に不可能だ。

復興予算目当てで国会は紛糾しているようだが、そもそも、復興なんて無理だ。

無理なことは無理と、はっきり言わなきゃならない。
それをはっきり言わないから、管総理はダメだ。

この間まで、「復興より、まず、復旧だろ」と思っていたが、2万人も死んでいたら、旧に復する必要も無いように思う。
いまは、生き残ったひとの生活再建に力を入れるべきだと思う。
とりあえず、仕事を作る。
日銭が入るようにする。
自分のことを自分でできるようにする。

それが第一だと思う。

高台移住なんて理想論はもうやめよう。

そういうことを言わなきゃならんと思う。


関東大震災の「復興」政策が、いまの東京の繁栄の基礎を築いた。と言う人は多い。

だがその結果、
復興債権の償還ができず、
昭和恐慌が起こり、
2.26事件が起こり、
太平洋戦争へと突入せざるを得なかった。という事を言う人は少ない。

そして結局、東京大空襲ですべて焼けてしまった。

そのことを、忘れてはいけない。


不幸が起こったら、とりあえず金がかかる。
持ってるお金が足りなくなる。
どこの家庭でも当たり前のことだ。

家でも国でも、同じ事だ。


人の不幸につけ込んだ景気を望むようなやつは地獄に堕ちる。

足下を一歩ずつ進むしかない。

管下ろし

2011年6月10日 日常
どうにもこうにも、論点が見えてこない。

とにかく、「管下ろせ」一辺倒で、どこがどう悪いからどう直せ。
が見えてこない。

見えてこないと言う事は、見せられないのだろう。

見せられないと言うことは、「利権」って事だろう。

復興利権が全然回って来ないじゃないか。
赤字国債発行して、倒産寸前の建設業界に臨時収入を配れ。
みんな青息吐息でやってきてたんだ。
震災なんだから、赤字国債発行しても国民は赦すだろう。
バンバン配ってくれ。
配るに際しては、各党派の議員全員に満遍なく役得を考慮してくれ。

そんな事ではないのだろうか。


ご存知の通り、日本の財政は1000兆の赤字。
いつ破産してもおかしくない状況。
なのに、50兆の歳入に100兆の支出。

そんな状態の時に、震災が来た。

「無い袖は振れない」

国家元首なら、そうはっきりとわかっている。


なのに、あっちもこっちも駄々っ子みたいに、金をくれーーー。
金くれなければ、下ろすーーーー!



なんじゃこりゃ、この国、なんじゃこりゃ。

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