完全に妄想モードだとお断りした上で、お読みください。


オバマにとって、テロとの戦いは言ってみればお荷物。
ブッシュの始めた戦争の尻ぬぐい。

さっさと終わらせたい。

正直、これ以上戦争しても、反米感情が高まるだけで、テロは増えこそすれ減ることはない。
相互不理解を解消するのに、戦争は最善ではない。

しかし、911があるので、国民感情を納得させなきゃならない。


だとすると、
今回の作戦は、出来レースではないか?

アルカイダの2番手なのか、なにかは知らないが、すでに約束を取り付けているのではないか?

正直、ビン・ラディンなる人物が、どの程度の求心力を持っているのか理解していない。
あの時に、オウム真理教にとっての麻原ショーコーぐらい絶対的なのか、
現在の民主党にとってのダメ管総理程度なのか、かなりの幅がある。

しかしながら、
ビン・ラディンが殺されたとなると、反撃の良い口実になるのは必然だ。
私がオバマなら、これ以上、自国に対するテロを起こさせたくはない。

国民感情を考えると、911の報復を完遂しないと戦線の縮小は無理だ。

ならば、アルカイダと取引し、ビン・ラディン一人とアルカイダの存続をバーターで取引したのではないか。
戦後交渉をまず進めた上で、今回の作戦を開始したのではないか?

経済支援、国力回復援助、不可侵条約。そんな密約がすでにあるような気がする。



ま、ただの妄想だ。

アメリカで原発テロなんかが起これば、妄想だったとすぐわかる。
ビン・ラディンが死んだのに反撃が起こらなければ、妄想は正しいかもしれない。


世界が・平和で・あり・ます・よう・に・・・・っと。


コワイ平和だ。
前の日記を書いてから、ふと思った。

「○○をすると、金融恐慌が起きて大変な事になる」

そういうフレーズはよく聞く。
学校でも、「金融恐慌」は必ず学ぶ。


でも、それほど、怖れることなんだろうか?
これは、不労所得だけで生きている金融業界が、
「実は見せかけだけの偽物の信用だけで成り立っている事がばれる。」
ってだけの事では無いのか?

市井の民は、取り付け騒ぎが起きてもなんにも関係ない。

金融恐慌を起こしているのは、自分の身を守るために貸し渋る金融業界の責任であって、金融業界だってただの会社組織なんだから、無茶な会社はつぶれてしまえば良いんだよね。

それを守ろうとするから、騒ぎになる。

金を持っている人間の発言力が大きいから問題になる。

うーん・・・。

もうちょっと考えよう。
えっとね。

原子力反対なら、まず、東電に税金投入は、断固反対するべき。

まず、
「原子力は金がかかる」
「原子力に手を出すと会社がつぶれる」
そういう常識を作らないとダメ。

「原子力に手を出す企業は、投資リスクがかなり高い」
と資本家に思わせないとダメ。

だから、
国民の総意として、「東電に税金投入は、断固阻止」運動をするべき。

東電の株を買っている人たちは、もちろん大損をする。

こんな安全で、高価格な株を買っているのは、相当の大金持ちだけ。
きっと、銀行や証券会社など、資金のある団体しか買えない。

そういう所が痛い目を見ないとダメ。

「原子力はリスクがある。あれに手を出すと、大損する。」

こういう常識を投資家達に植え付けないと、原子力はどんどん進む。


もちろん、
大手証券会社が大損をすると、金融不安が起こり、金融恐慌のような事が起こる。
大量の経営破綻が起こり、大量の失業者が出て、大量の自殺者が出る。
それも、承知の上で、大反対する。

それぐらいの覚悟を持って、「原子力反対」「税金投入反対」と言わない限り、原子力反対と言うべきではない。

やるなら、とことんやれ、やらないなら、次善策を考える。
一般の方々の反応としては「当然やん!」だろうけど…。

この1号機は、福島1号機より古いわけで、早急に廃炉にして欲しいのです。

同じスペースで同じ出力の代替発電所がすぐに建設できるのであれば、それにする方が良いのですが、無いのであれば、少しでも安全な新型の原子炉に置き換えて欲しいのです。


今すぐ必要なものに対して、代案もなしに、「反対!」とやると、「じゃ、この古い炉をこれまで通り使いましょう」ということになります。

実際、美浜1号機延命計画もできています。

さっさと廃炉にしましょう。
はてさて。

日本には核燃料中間処理施設もないし、
最終処分場もない。

ゴミ箱がないのに、掃除なんて出来るんだろうか。

はなはだ、疑問である。
山路を登りながら、こう考えた。

智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。

とかくに人の世は住みにくい。

住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。

人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。
やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。
ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
あれば人でなしの国へ行くばかりだ。

人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

食べるベクレル、浴びるシーベルト(日経ビジネスオンライン)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110418/219477/?P=1

結局は、数値を身にしみこませることが重要ってことですよね。

生きてゆく限り、地球上に散らばった放射性物質を食べなければいけない。
食べないと、放射能にやられる前に死んでしまう。

残留農薬のように、ベクレルの値をキチンと覚える。

「むやみに怖がることは簡単」というのが印象に残る言葉でした。

また雨、ドイツの予測で気流が関西へ


http://atmc.jp/

ドイツのアニメがすてき
もう一度書く、子供達への小言。


「傘ささな、ハゲルで!」


「手ぇ洗ろてから、食べや!」


「お風呂入りなさい!」


「昨日の服、着なや!(着るなよ)」



大人達への小言。


「雨が止んだら、傘を干す」


「こまめに掃除をする」


「毎日、洗濯をする」


「風が吹く日は、水撒きをする」


以上、放射能対策でした。
原子力に反対するために
反原子力の観点から、スマートグリッドや分散発電がかまびすしい。

家庭の電気は家庭で作る。電気の地産地消という考え方だ。


宮田秀明:震災を「塞翁が馬」にする方法(BPnet)
http://www.nikkeibp.co.jp/article/news/20110408/266317/

しかし、この考え方は一般消費者観点からは正しいけれど、反原子力には到底ならない。

前にも出し、ここにも再度掲出した、あのグラフが根拠だ。

元グラフは経済産業省資源エネルギー庁のホームページにあった。
http://www.enecho.meti.go.jp/topics/hakusho/2006EnergyHTML/html/i1240000.html

この、9時から5時まで、ぐぐっと上がる電力消費は、どう考えても家庭の電力とは無関係だ。
すべて、経済活動に使われる電力だと考えるべきだ。

工場はすべて電気で動いている。

自前の発電装置を運用するより、電気を買った方が安く付く。だから電気で工場を動かしている。
そのために、原子力発電所がある。

個人がいくら節電しても、「あんた、ばかぁ?」である。


企業の原理は単純だ。
コストが安ければ、そちらを使う。

以前提案した、「電力会社の分割」をしたとしても、一般ユーザーは高くてもクリーンな電力会社を選ぶかもしれないが、企業はとにかく安い電力を買う。

つまり、原子力は生き続ける。


今日、管総理が「被害の補償は第一義的には、東京電力の責任でありますけども、最終的には適切な補償が行われるよう政府が責任を持たなければならないと考えております。」と会見をしていたが、関西電力他、全国の電力会社はこれで「原子力発電事故の補償費用は政府持ち」という担保を得たようなものだ。

こんな費用も、原子力発電のコストに計上しなくては、反原子力の流れには到底ならない。
安い電力という妄想を取り払わなければならない。

そして、「原子力は高い」という前提条件を確保した上で、「それよりも安い電力は何か」と問わなければならない。


具体的には、各電力会社が原発周辺20km内の土地を全て買い上げ、住民全員への賠償金を支払えるだけの準備金を積み立てさせる。
これを10年以内に積み立てさせ、そのコストを電力料金に計上させる。

また、耐用年数の厳格化を行い、廃炉を促進する。
中間燃料保管施設や地層処分に関しても、全て電力会社負担とする。
地層処分場の確保、自治体への交渉、地権者への説得、これら全てを電力会社の負担とする。

税金の投入は一切認めない。

すべて、電力料金のコストでまかなう。


そのために、一般市民は、何ができるのか?

そんなとこらへんまで考えて、しんどくなった。



それでも、きっと、新しい原子炉がないと、日本産業は立ちゆかなくなるんだろうなぁ。
ならば、せめて、中間燃料保管施設や地層処分施設は、もっと早くキチンと作ろうよ。
危険な燃料プールに規定量の1.5倍の使用済み燃料棒を置いておくなんて止めようよ。
すべて、「反核」の市民運動が強すぎて起こっている事態だよ。



大前研一が言うように、福島を廃炉にした跡地を燃料保管施設にするのが一番よいのかもしれない。
どうせ、みんなから嫌がられる土地になってしまうんだろうから。


原発推進派は「更地」にして、忘れさせたい。
原発反対派は「石棺」にして、記念碑を作りたい。

さて、どちらが最終形になるか、綱引きはどうなるのか。
この基準、覚えておきたい。


雨が降ってきた。
ドイツあたりの観測では、近畿圏にも放射能が流れ込んでいるようだ。
他国の情報を鵜呑みにするつもりは無い。
だが、地獄の釜の蓋は開きっぱなしで、あと数年は閉められないのではないか?
毎日毎日、目に見えない物質を吐き出し続けている。
そのうち、日本の津津浦々まで、やがていずれはやってくる。
そこに雨が降ってきた。

たいした線量ではないはずだ。
たいした線量ではないが、一生さらされる総量を考えなければいけない。


放射能の身体への影響は、中性子線による遺伝子情報の破壊が問題なのである。

中性子線は恐ろしい勢いで飛び出すが、原子核よりも小さい。
身体を構成する大抵の部分にあたっても、たいした問題は無い。
問題は、DNAにぶち当たるかどうかだ。

目に見えないサイズの中性子線が
DNA構造にぶち当たるかどうかなんてかなりの低確率だ。
ただ、ぶち当たったら、DNAの連鎖のうち一個が壊れる。
DNAは細胞の設計図だ。
新陳代謝の際に、この設計図を元に新しい細胞が作られる。

壊れた遺伝子を含む細胞は、設計図が壊れているので全く同じ細胞を作り出せない。
もちろん、全く同じでなくても問題のない場合の方が多い。
問題があったとしても、細胞ひとつが異常を起こすだけだ。

とても低確率であるけれど、当たり所が悪ければ、増殖異常を起こし、癌化する場合がある。


とにかく、これは、確率の問題なのだ。
被曝量を少しでも抑えた方が確率は減る。
母数を減らせば、発症率も減る。単純な相関関係だ。


まず、放射性物質を身体に取り込まない。
放射性物質が身体に付いたら、洗い落とす。


なにぶん、生涯被曝量が問題なので、継続が大事だ。
特に子供達は、新陳代謝が激しく、影響が大きい。生涯も長い。
生殖細胞が一番新陳代謝が激しいらしいので、これから子供を設けようという方も注意するべきだ。

雨が降ったら、傘やカッパを着て、雨に当たらないようにする。
雨で外出した日は、かならず風呂に入る。
雨が上がったら、ベランダや玄関に水を撒いて、塵や埃を洗い流す。


継続が大事だから、こんな細かい内容では忘れてしまう。
もっとわかりやすい言葉で、伝えなければならない。

で、考えた。


「傘ささな、ハゲルで!」


子供の頃、よく聞かされた「傘ささなハゲルで」。
今考えると、あれは原水爆実験禁止運動の頃の標語だったんだなぁと思い当たる。
散髪屋などで若い人に尋ねてみると、「知らない」という人がほとんど。

いまこそひろげよう、「傘ささな、ハゲルで!」


子供達が雨の中はしゃいでいたら、誰彼かまわず声をかけよう。
収入の300分の一が寄付額の基準。なんて日記を書いたら、こんな記事。

現在までに1300億円の義援金が集まったそうだ。
日本人1億3000万人が一人平均1000円寄付した勘定だ。

人の気持ちに多い少ないを言っちゃいけないが、
分配したら、「生活費1~2ヶ月分」にしかならないって状況だと思います。

余力のある人は、追加の義援金、もしくは、毎月の寄付を検討してください。

義援金の額

2011年4月7日 日常
Twitter情報なのであやしい数字だが、気になるものが流れていた。「福島県に義援金が33億円集まったので、被災世帯あたり5万円の支給となります(65000世帯で計算)」
5万円でなにができる!33億円もあるのに。
被災者があまりに多過ぎる。
いったいいくらの義援金を寄付すれば良いのだろう?

ちょっと計算してみた。
現在は16万人のようだが、震災当初、避難者数が47万人という数字を覚えている。
日本人口が13000万人とすると300人に一人が被災したという計算になる。
この時点で、ちょっとびっくりする数字である。
つまり、300人で一人を支えるわけだ。

自分の収入の300分の一が支援に必要な額だ。
もちろん税金で支援が行われるので、個人的な寄付なんて強要される筋合いのものではない。ただの思考遊戯だと聞いて欲しい。

300分の一が寄付の基準だとすると、月30万稼いでいる人は1000円を毎月寄付するのが適当という事か。
年収300万円の人は、今年分として1万円が妥当という事になる。

さて、復興には何年間支援が必要なのだろう。
最低5年は必要か?
すると今一括払いで寄付するなら5万円が妥当な額という事になる。

年収600万なら10万円だ。
いやまて、
年収600万は世帯収入だろう。人数割で計算したから、家族数を掛けねばなるまい。
5人家族とすると50万だ。

ゲロゲロ。
嫌な計算をしてしまった…。


新聞一面の片隅に毎日掲載されている死亡者数と行方不明者数。
「ああ、一万人超えた」「一万一千超えた」と、少し憂鬱である。

憂鬱だなぁと、この欄をじっと見る。

この情報に希望はないか?

死亡者数と行方不明者数を足すと三万人を越えている。
恐ろしい数だ。
多分…。

そしてひらめいた。
この欄を見る時は、足し算で見るようにしよう。
足し算が、三万人を下回るように祈ろう。

死亡者数は増え続けるが、足し算はもう増えないはずだ。
足し算が減る度に、その数だけの笑顔がある事を考えよう。

そうしよう。

風力。

健康被害が心配だ。
風切り音による低周波騒音がかなり問題になっている。
立地を選ぶ。
良い風が吹かなければ、発電効率が極端に落ちる。

海上風力発電が現実的か?ほんとか?


太陽光。

熱効率が15%ぐらい。
コスト的にもっと向上しないと難しい。
現状では、太陽熱温水器の方が熱効率がよいと聞く。
装置も単純だ。
昔流行ったのに、どうして無くなったのか?
メンテナンスが大変だからだと思う。
ガラスは汚れると効率が落ちる。
屋根の上は拭けない。
効率の落ちた葉を落として生え替わる植物のすばらしさを痛感する。


バイオエタノール

トウモロコシなどは畑地をふさぐので無理。
食糧危機を加速させてしまう。
そして、コストパフォーマンスがイマイチ。

現在、藻の研究が進んでいるらしい。
トウモロコシなどよりコスト的に有利。
将来、遊休地は沼にするって世の中になるんだろうか?
どちらにせよ、まだ、高効率な藻の模索中。
実用化、急げ!


小規模水力発電

水車小屋を用水路に大量に置く。
トイレの排水発電なんてのもあるらしい。
法的規制のため、管理者設置を義務づけられている。
緩和が必要。

メンテナンスは大丈夫?
大量の発電機を作る電力は大丈夫?





さて、もう一つ提案を読んだ。

発電と送電と売電をすべて電力会社に一本化しているからダメなのだ。という意見だ。

他社より電気代は高いけれど、クリーンエネルギーしかつかわない電力会社と契約できる。なんてことになれば、世の中は動くだろう。
現状のままでは、地域電力会社が「これ」と言ったら、ユーザーに選択肢は無い。

発電会社、送電会社、売電会社。どれをどう分けるのがよいのか解らないが、「ユーザーが電力を選べる」という仕組みは、脱原子力には最低限必要な仕組み作りだろう。



ついでにもう一つ。

電力需要のグラフを見ていると、昼間の電力需要が夜間の倍ぐらいある。
大規模に電力を使う工場を夜間運転にすればよいのではないか???

もちろん、そんな事をすると、労働者も夜間に働かなければならなくなる。
普通のサラリーマンも夜勤になるかもしれない。

労働者全員が三交代制で働けば、ピーク電力がなくなり原子力無しでもいけそうだ。

うーん。なんかやだな。
原子力代替エネルギー
原子力は、やめるべきだと、私は思ってる。

できるならば。


しかし、この需要グラフを見た時に、「こりゃ、難しい」と正直思った。


水力や原子力は、ベース電力を支えるものだ。
20世紀前半に全ての好適地開発を終えてしまったと言われる水力発電。
いまも健在だが、全体の1~2割というところだろうか。
私が子供の頃、クロヨンダム竣工!なんて騒いでいた時代は、遙かに遠いのだと思い知らされた。
私たちはなんと大量の電力を使うようになったんだろう。

石炭もすでに新方式の石炭発電だろうし、石油だって高効率発電に代えて、やっとこの巨大需要をまかなえている。

原子力をやめて、小型水力や風力、太陽光にシフトしてゆくのはよいが、全国の水力ダムの三倍というようなベース電力になり得るのだろうか?

ベース電力とは、安定供給されなければ、意味がない。
蓄電が不可能という前提に立てば、太陽光や風力が安定的なベース電力の代わりになるのだろうか?

いや、なるだろう。
全ての屋根に太陽光発電装置を付け、すべての用水路に小型水力発電機を設け、家庭はコージェネでガス発電も行う。
それぐらい大量の小型発電が隅々まで行き渡れば、原子力の代替になり得ると思う。

しかし、それには、何年かかるのだろう?

それを実現するまでに、何に頼るのだろう?

どうしても頼らざるを得ない原子力が、その間存在し続けるのであれば、
無くなるまでの間、「キライ」や「反対」ではなく、上手にコントロールする方法を模索することが一番肝要ではないか。



最後の原子力発電所の火を落とす日はいつか来ると信じている。
しかし、それは、百年ぐらいかかるのではないか?

それまでの間、私と私の子供達が死ぬぐらいまでの間、どうしても原子力とつきあい続けて行かなくてはならない。

理想や夢は必要だ。
だが、そのために、現実がスポイルされてはならない。
現在の原子力村を開発側に押し込めるためには、反対する勢力がキチンと存在しないといけない。

それは、命をかけて原子力災害解決に挑む、原子力消防隊(アトミック・レスキュー)の新設ではないだろうか?

電力会社も国も経済界も原子力推進側である。

それに対抗する勢力は「命」しかあり得ない。

いざ、災害が起きた時に、命を賭して放射能拡散を最小限に食い止める。
そのためには、原子炉構造から放水、水漏れ、土木工事にまで長けた人材を育成するべきではないだろうか。

軍と同じように、有事の際には命を賭して作業に当たる事を前提として、賃金・家族への保証を約束する。

平時には、各原子力発電所を年に一度総点検し、安全確保のための手段が講じられているかをチェックする。
この部隊の指導を守らない場合は、即時運転停止の権限を与える。

放射線障害医療や原発事故対策ロボットの開発も、その部隊の管轄とする。

自分の命を守るためには、必死で技術開発を進めるだろう。


「利益に対する命」
そんな対立軸が不在。ということが今回の事故の根本原因だと思う。
チェック体制すら原子力村に預けっぱなしで、電力を享受していた。


「原発反対」「原発キライ」と言いながら、
エアコンを使い、パソコンを付けっぱなしにする。
これまでの私のような、そんな態度が、事故を産んだのだと反省する。


いま巷にあふれる、代案無き「原発反対」という逆行に、恐怖を覚える。
このままでは、もう一度、同じ事故が起きるのは、確実だ。


放射能をうんこに例えるというのが流行っているらしい。

燃料棒=うんこ
放射線=うんこのにおい
シーベルト=臭さの単位

うんこから離れると距離の2乗に応じて匂いが減る。

ベクレル=うんこが飛び散った量

表面に付いたうんこは洗い流せば落ちる。
中にしみこんだうんこは、捨てる。


とっても解りやすい。

原子力をうんこ扱いすると、また避け物扱いに拍車がかかりそうで困ったもんだが、とりあえず、初耳の放射能対策を理解させるには、例えが便利だ。


そんな話を聞いていて思った。

「放射能には色や匂いをつけるべきじゃないのか?」

避難者たちはガイガーカウンターを持っているわけじゃない。
目にも見えない、匂いもしない、普通に動ける。
そんな状況なのに、避難をしている。
まったく、実感がない。

これが問題だ。


もちろん、ウランやプルトニウムに色をつけたり匂いをつけたりはできないだろうが、漏れ出してからバスクリンで色をつけて確認するぐらいなら、最初から一次冷却水には蛍光ピンク、二次冷却水は蛍光イエロー、なんて色を付けておいたらどうなんだろう?
ついでに蒸発したら強烈な匂いも出るようにすればよい。

都市ガスは、無色透明でガス爆発の危険性があるから、わざわざガスの匂いを付けている。
同じようなことを、原子炉でもおこなうべきだと思う。

もちろん、中性子の連鎖で、被爆は連鎖してゆくから、限界はある。
しかし、冷却水ぐらい色を付けるべきなんじゃないんだろうか?

そうすれば、今出ている水が、どこから来たものかぐらいはわかるだろう。

純粋工学的には一次冷却水は限りなく100%に近い「純水」が望ましいのはわかる。
しかし、耐久性や効率性より、事故対応を考えるべきだ。
そんな、基本的な発想すら生まれてこない。

生まれてこないのは、私たちが原子力をハミゴにしてきたツケだ。

私も、原子力は大嫌いだ。
大嫌いで大嫌いで仕方ないけど、使わなきゃならない。
使わなきゃならないのであれば、もっと知ろう、みんなで、より良くしよう。

そういう「協力する気分」を掘り起こすことが、原子力行政に一番必要な事だと思う。

みんなの監視、そして技術提供、労力提供、関心を持つ。
そんなことが、自分自身の安心・安全に繋がることだと思う。

原子力のことを考えると、一番イカンのは、のけ者にしているって事じゃないかと感じる。

原子力は嫌われ者。
原子力を研究すると国から補助が出る。
より原子力研究者は嫌われ者になる。

現代の被差別階級?
かなり複雑な仕組みを抱え込んでいるけれど、国民全員がその利益を享受しているにもかかわらず、あんなものは、どっか行っとけ。って態度で接している。

江戸時代の被差別部落とかわりない。
屠畜という仕事も皮革製品も墓守も全部必要な仕事なのに、忌み嫌って人任せにしている。
原子力に関しても江戸時代と変わらないことを私たちはしていないか?

のけ者にされた原子力関係者は、仕方なく村の中でこぢんまりとまとまる。
集まった物だけの技術でなんとかやりくりしようとする。

原子力の専門家に、水漏れまで任せるのは畑違いではないか?
おむつ突っ込んだり、新聞紙突っ込んだり、バスクリン流し込んだり、シロウトの対応じゃないか。
こんなことなら、クラシアンの方がよっぽど技術を持ってるはずだ。

事故の発端も非常用発電装置が津波で持って行かれたなんていう、原子力の専門家とは全然関係ないことが原因だ。
一般工場の安全管理委員会とかの方が、技術の蓄積があるはずだ。

今回かなり原子力の基礎技術を勉強した。
わかってみれば、たいした技術じゃない。
もっとオープンに危険への対処法をみんなが議論するべきだと思う。
建築の専門家や河川土木建築の専門家、自然環境保全の専門家などが、
「原子力反対」と言うのではなく、「原子力をどう使う」という視点で意見交換するべきだ。
原子力研究家に任せっきりにすること。これが一番良くないと思う。


報道は視聴率しか考えていない。
国民は怪談話しか望んでいない。
「怖い物見たさ」でしか原発関連ニュースを期待していない。
だから「隠しているんじゃないか」とか「最悪はこうなる」みたいなセンセーショナルな報道のウケが良い。

そんな報道は、結果、「原子力はキライ、どっかいけ」という風潮を促進する。
そして、のけ者にされた原子力村の人々は、またひとり、新聞紙を詰めて暮らす。

それじゃだめだ。
流れ出る放射能は、全世界の放射線総量を増やしてしまう。人類共通の問題だ。
原子力村の人々曰わくの「自然界に元々存在する放射能」の量を増やしてしまうのだ。
元々存在する放射能という基準値自体が増えてしまったら、基準値自体が変更されたら、何を根拠にすればよいのだ。

日本中の技術者が「彼岸の見物」と考えず、持てる総力を使って放射性物質の流出を食い止める。
そんな態度が今一番必要だと思う。

五百羅漢展

2011年4月1日 日常
五百羅漢展
http://500rakan.exhn.jp/

うーん、震災の影響で延期かぁ~

早く見たいなぁ~。

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