なぜ月なんだろう?

アポロの月探査がウソだなんて事言ってる人が
「ウソの根拠は、その後再現されていないから。再現性こそが科学である。あれは科学ではない。」なんて理由を述べているのを見て笑った事があるけど
「月探査が再現されない」のは、「やっても意味がないから」ですよね。

月旅行は、東西冷戦のために行ったアドバルーンでしかなく、
ただの石ころ集めるためだけに何兆ものお金をつぎ込むなんて
本当に意味がない。

もちろん、「アメリカにしかできなかったことを日本独自でやる」なんて
愛国心高揚政策には利用できるだろうけど、
今回のはどうやらアメリカの有人月探査に金を出すためだけの理由づくりのようです。

なんなんでしょうねぇ。麻生首相。
この時期に有人月探査をぶちあげる。

景気回復に役立つんでしょうか?

1500兆円もの個人預金を抱える日本でなぜ消費が冷え込んでいるか?
それは、政治不信以外の何者でもないと思うんですけどねぇ。

「政府に任せていたら不幸な老後しかない」って実感が一番問題なんですよね。

「自分の生活も守れないかもしれないから、子どもなんて産めない」って言って少子高齢化が進み、税収が先細っているんでしょう?

もっと大局の見れる政治家は居ないんですかねぇ。

しょんぼり。

 
これですわ。

バズマーケティングとかわかってない!

魂がこもっていない広告作業。

ついこないだまで「まだまだ大丈夫!」と思っていたけど、
こんな事してたら、Dさんも長くはないぞ!

って思っちゃいました。

てなわけで、裏事情調査。

Dさんは担当してたけれど、この件に関しては、マクドナルド直だそうです。
ま、そりゃそうだわな。
代理店がこんな事してるようじゃ、お先真っ暗でございます。
裏事情として、この日、Mの社長が来店することが早くから決まっていたそうで、
社員としては、株を上げたい!
長蛇の列を社長に見せたい!
っていうのがあったのではないか。と。

どちらにせよ、ユーザーを向いていない会社は、ユーザーからそっぽを向かれると言うことで、株急落です。

あーあ、まともな生き方というのを学校でもっと教えようよ。

はーぁあ。

この広告戦略のせいで、休日の昼飯をのがし、
クオーターパウンダーなんて絶対にもう食べないし、
マクドナルドなんて二度と言ってやるか!
と決心したクオーターパウンダーファンが居ることを
教えてあげたいです!

「くやしいです!」(ザブングル風に)
  

JMMから無断転載
                             2008年11月16日発行
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▼INDEX▼

  ■ 特別寄稿「田母神論文問題ーー浮き彫りになる政治とメディアの危機」

   □ 水牛健太郎   :評論家、会社員



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 ■ 特別寄稿
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「田母神論文問題ーー浮き彫りになる政治とメディアの危機」

 航空自衛隊の田母神俊雄・幕僚長が戦前などについて、政府見解を逸脱した主張を雑誌の懸賞論文として投稿した問題は、その後の処理の混乱を通じ、現在の日本の政治とメディアの抱える深刻な問題を浮き彫りにした。

 政府は、明確な文民統制違反を犯した田母神幕僚長を懲戒免職にすることができず、退職金の支給される通常の退職扱いとした。与野党は、田母神氏を国会に参考人招致しながら、氏がテレビで持論を展開することを防止しようと、NHKへの中継要請を見送り、NHKもこの判断を踏襲して、テレビ中継が行われない参考人招致という、異例の事態となった。その結果、インターネット中継が大きな関心を集め、一時はアクセスしにくい状況になった。こうした政府の姿勢は、田母神氏と正面から対決することを避けたようにも見え、この国の文民統制の実質が空洞化しているのではないかと危惧を感じさせる。

 メディアに関して特に問題と思われるのは、田母神氏の行為を問題視しながら、その問題点を明快に解説した報道が出ず、ただ「悪いものは悪い」と言わんばかりの報道になっていることだ。こうした報道は、ふだんからメディアに不信感を持っている人たち、特に若い人たちに対し、説得力がない。

 あたふたしている政治家の姿と、明快な解説をしないメディアの姿勢があいまって、田母神氏の解任がやましいことであるかのような雰囲気がかもし出されることになった。こうしたなか、持論を貫く田母神氏は堂々として見え、氏の主張が正しいかのような印象が広がっている。


言論の自由と自衛隊

 田母神氏を支持する根拠として使われているのが「言論の自由」という言葉である。田母神氏自身も、今月十一日に参議院外交防衛委員会での参考人招致で「私は私が書いたもの、それから、私が当然、自衛官も言論の自由が認められているはずだから、言論の自由が村山談話によって制約されると、いうことではないんではないかと思っておりましたので」(MSN産経ニュースより)と「言論の自由」という言葉を使っている。しかし、今回の問題は言論の自由とは全く関係がない。

 言論の自由は、憲法により全国民に保障されている。だから、一国民としての自衛官にも当然、言論の自由はある。しかし、ある職務についている者は、言論の自由とは関わりなく、職責上、それにふさわしくない言動をすることは許されない。これは、私たちが日常的に受け入れている常識に過ぎない。

 問題発言で罷免・更迭される大臣は後を絶たないが、これは、その発言内容が大臣にふさわしくないと判断されたからである。もし警察官や裁判官が犯罪を奨励するような発言を公にしたら、間違いなくクビになるだろう。学校の先生が少女売春を肯定する発言をしたら大問題になることは間違いない。こういった公職だけでなく、一般の会社員であっても、会社の事業を根本的に否定するような発言を公の場でしたら、やはりクビになるだろう。

 しかし、これらの発言は全て、言論の自由の対象であり、個人としての発言自体は自由である。犯罪を奨励するような発言をしても、実際に罪を犯さない限り、逮捕されることはない。ただ、その職に留まれないというだけの話だ。

 だから、田母神氏の問題は言論の自由とは関係がない。ただ、航空幕僚長という職務への適格性を欠いたというだけの話である。田母神氏が何を言っても個人としては自由で、逮捕されることはないが、ただ、その職には留まれない。言論の自由は職業上の身分保障とは関係がないのである。

 自衛隊の制服組トップという立場にある人が言論の自由を主張するのは、言論の自由という概念の歴史や文脈ともなじまない。言論の自由は、もともと強大な国家権力に対し、個人の権利を守るためのものである。その場合、言論の内容としては主に政治や社会、つまり公的な問題に関する内容が想定されている。

 戦前の日本では言論の自由は「法律の範囲内」で許されているに過ぎず、法を制定すれば特定の言論を取り締まることができた。事実、共産主義・社会主義や朝鮮独立などの主張が警察の取り締まりの対象になった。戦後の日本国憲法はその反省を踏まえ、法律の留保なしで「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」を認めている。その文脈が、主に「国家権力からの個人の自由」という点にあることは間違いない。

 もちろん、私人間において言論の自由が問題になることもある。例えば企業がある主張をしたことを理由に、社員を解雇したような場合である。社員が地位保全を求めて法廷論争になった場合、社員の主張が会社の業務にマイナスの影響を及ぼすものでない限りは、解雇権の乱用と見なされ、無効になる可能性が高い。公職であっても、実際上私人と大きな違いがない場合は、これに準じた法的保護を受ける。言論の自由と職業上の身分保障は直接の関係はないが、政治的・社会的な主張を理由にした解雇が正当化されるようだと、言論の自由を実質的に守ることは難しくなるだろう。そうした配慮と、労働者の権利保護の観点から、言論の自由と身分保障が関連付けられているのである。

 しかし、より公人としての色彩が強い特別職(大臣や国会議員など)はそれとは異なる。自衛隊員を含む防衛省職員も特別職である。彼らは国家権力の一部を直接担う人たちだから、彼らの「言論の自由」を身分保障を通じて守ることは問題にならない。むしろ、国家権力を行使する彼らがそれにふさわしい人であるかどうか、つまり職務への適格性の方がはるかに重要である。

 国会議員などの選挙職の場合は、その適格性を判断するのは選挙民であり、世論である。大臣などの政治的任命職の場合は、その判断は最終的には首相にゆだねられている。

 そして、自衛隊員の身分は、自衛隊法第31条で、任用、休職、復職、退職、免職、補職及び懲戒処分は、防衛大臣又はその委任を受けた者が行う、その人事管理に関する基準は、防衛大臣が定める、と定められている。つまり、自衛隊員の身分に関する全ての権限は、防衛大臣の政治的判断に一任されている。

 自衛隊は武力組織である。多くの人を殺し、政府を転覆する可能性を秘めた武力を保持している。事実、戦前において右翼の言論に影響を受けた軍人がクーデターやテロを繰り返し、結果として政党政治を転覆したことはよく知られている。このような事態を防止するため、武力組織は、国民の意思を代表する国家の厳格な指揮監督に従わなければならない。これがいわゆる文民統制の原理であり、軍隊が政治の実権を握る国でない限り、世界中どこの国でも当然とされる。今回、この原理が発動され、政府が国際的に表明した見解と異なる意見を発表した田母神氏が更迭されたのは、全く当然の措置といえる。

 自衛隊は日本の防衛を任務としているが、そのあり方は決して日本の国内的な問題ではない。自衛隊の防衛力は、アメリカとの同盟や周辺諸国との友好、更には仮想敵国といった緊張関係にある国など、多くの国との関係の基盤となるものであると同時に、こうした関係に規定されている。つまり、自衛隊の存在は日本の国際的な位置付けを支え、外交の基盤ともなる一方で、外国との関係により様々な制限を受けるということだ。その意味で自衛隊は国際政治・外交の欠かせない一部である。

 その自衛隊の最高幹部の一人が、日本政府の公式見解と異なる見解を明らかにしたことは、日本の国家的な意思が分裂していると見なされ、国家に大きな不利益をもたらす可能性がある。

 日本の過去に対する考えは人それぞれであり、国内に大きな世論の分裂を抱えている。しかし、村山談話と言われる一つの立場を政府が国際的に打ち出し、それを基礎として周辺諸国との関係構築を進めてきたことは事実だ。国際政治において、過去の歴史に対する見方は外国との関係構築の基盤となるものであり、現実的な意味を持っている。好むと好まざるとに関わらず、ある一つの歴史観の上に日本の国際的立場が築かれてきた。田母神氏の行為は、そうしたこれまでの積み重ねを危険にさらす。

 村山談話に対する異議があったとしても、その議論は、政治の場でなされるべきである。文民統制の対象である自衛隊員は、この議論に公に参加する資格はない。自衛隊員は政治的な意思決定とは距離を置き、自分の職務を着実に果たすことが務めである。現在の政府の立場と異なる意見を公に表明する自衛隊員にも言論の自由は保障されているので、逮捕されることはないが、自衛隊員としての適格性がなくなるので職を失うのは当然と言わなければならない。

 つまり、今回の問題では、田母神氏の主張の具体的な内容の一つ一つが問題なのではない(だから、この文章でも、田母神氏の論文の内容を検討する事はしていない)。この問題は、国家運営に関する原理原則の問題である。統一された政治意思のもと海外との関係を構築していくという、国家のあるべき姿をいかに守っていくかが問題とされているのである。


空洞化する文民統制

 このように、政府が田母神氏を更迭したことは全く正当であり、何の問題もない。それにも関わらず、懲戒免職ではなく定年退職とし、NHKによる国会中継を避けたことは将来に大きな禍根を残した。

 思うにそれは、政治家が文民統制に対する確信を欠いているためではないか。戦後60年余りが経ち、戦前の軍隊の横暴に対する記憶も薄れている。その一方で、平和憲法下の自衛隊の位置づけは未だに微妙なものがある。政治家には、自衛隊の存在そのものに対する実感が薄いように思われる。まるでなじみのない政府の一部門のように感じている。自衛隊が強力な武力組織であり、ちゃんと押さえ込んでおかなければ自分たちの身を危険にさらしかねないという実感もない。だから、田母神氏の問題を、厄介な不祥事が起こったとだけ感じ、問題の根本を見つめるよりも、早期に問題を片付けることを選んだのではないか。定年退職にしておきながら退職金の返納を求めたという醜態に、危機感の無さがよくにじみ出ている。

 だが政治家が田母神氏のテレビへの露出を恐れたという事実には、深刻な懸念を感じざるを得ない。自衛隊員を武人とするならば、政治家は文、つまり言葉を武器とし、議論によって生きる人たちであるはずだ。その政治家が、国民の目の前で自衛隊の制服組トップと議論によって対決する自信がなく、NHKもそれを受け入れた。

 いかなる制度も、その制度を担う人たちの気概や能力があってはじめて保たれるものである。文民統制ももちろんそうだ。もし政治家に自衛隊員を言葉の力で押さえ込む自信も気迫もないならば、いくら文民統制の制度はあっても、魂はない。今回の件で、政治家は足元を見透かされた。今度、自衛隊内で文民統制の裏をかこうとする動きが出たとしても不思議はない。

 この自信のなさは、あるいは政府を構成する政治家たちの多くが二世であることとも関係があるのかもしれない。今回の問題で表に出た首相、官房長官、防衛大臣のいずれもが二世政治家である。彼らは言葉の力でのし上がってきた人たちではない。もし今、政府の中枢に、田中角栄や野中広務のように、言葉の力を武器として一代で身を起こした人たちがいたら、少しは違っていたかもしれない。


明らかになった既成メディアの機能不全

 今回の問題に充分な解説ができないでいる既成メディアにも、大きな問題を感じる。既成メディアは文民統制の枠組みを当然のこととし、そもそもなぜ田母神氏の行動が問題なのか、ほとんど解説することなく、ただ田母神氏はけしからんと社説などで批判している。しかし、それでは全く充分ではない。

 かつてメディアは既成の枠組みを踏まえ、日本社会において何が正しく、何が間
違っているか判断を下す実質的な力を持っていたが、現在ではその力を急速に失いつつある。社会の枠組みが大きく変動する一方で、インターネットの言論が発達し、若い世代は最初から既成メディアの判断を疑ってかかっている。田母神氏の行為はどうして間違いなのか。根本から議論を組み立てて解説しなければ、ただ臭いものにフタをしているようにしか見えない。

 メディアや政治家が何かをただ否定しようとしているならば、その何かはきっと正しいに違いない。ネット世代はそう考える。田母神氏の人気が今インターネットで高まりつつあるのは、まさに、政治家と既成メディアが田母神氏をこぞって否定しようとしたからなのである。

 既成の枠組みを当然のこととすることなく、問題を根本から問い直すこと。今、メディアに求められているのはそれだが、既成メディアに決定的に欠けているのもその点なのである。田母神氏問題が浮き彫りにしたのは、既成メディアの深刻な機能不全である。言論解説機能を根本から鍛えなおさなければ、既成メディアに将来はない。

                        評論家、会社員:水牛健太郎

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04月22日付 日経新聞の報道「光市母子殺害、元18歳少年に死刑・広島高裁差し戻し審判決」へのコメント:

世界的に死刑廃止の潮流がある中、日本だけが厳罰主義へと傾いているという予備知識。

本村氏の当初の発言に対して、「なんじゃこいつ」と感じた違和感。

ところが本日の本村氏の会見をテレビで見ていて、その慎重な発言、重い言葉を見ると、「この人以上に死刑について語れる人は居ないのではないか?」という気持ちがしてきた。

本当に重い言葉の連続だったので、死刑廃止論議の骨子を2時間ほどネットで読み耽ってしまった。

これまで、私は、「死刑でも恩赦や特赦で出てくる可能性があるから、懲役500年とかの方が理解できる」などという立場だったけど、死刑廃止論の骨子を知ると、発言は慎重にならざるを得ない。

一番得心したのは、「人を殺すことはいけない」と決めているのに、死刑を行うのは、論理的に破綻している。と言う点。
一見、言葉遊びのように思えるが、これに対する反論が思い浮かばない。
残虐な行為が当たり前である社会が存在する以上、残虐な行為を当たり前であると感じる人が増えやすい。
ううむ、どうも納得しにくいが一理ある。

私がこれまでずっと違和感を感じていたのが復讐論による死刑存続論。
本村氏の当初の発言は、復讐論だったと思う。
彼のその態度に、私は当初違和感を感じたのだが、日本の現状は、「殺されたんだから殺してしまえ」という復讐論以上の論議があるとは思えない。

復讐は、発展的解決に至らないのは火を見るよりも明らかだ。
やられたら、やりかえせ。それでは、何も発展しない。平行線だ。
だから、この論点での死刑有用論なんて、現在では存在してない。
だけど、庶民感情は、この考え方で支配されていると思う。

殺すか殺されるかと言う意味では、
殺された本村さんの奥さんが唯一の権利者だと思う。
殺される瞬間、彼女には犯人を殺せるだけの理由があった。出来るなら殺したかっただろう。
本村氏は当初、その気持ちを代弁したかったのだろう。
しかし、彼は、彼女ではない。彼女の代わりに犯人を殺せる理由はどこにもない。
「犯人を殺したい。」その心情はとっても良く理解できる。
しかし、それで良いのか?

彼女は死んでしまった。もう、生き返ることはない。
生き返ることが無いのに、犯人を殺すことに意味があるのか?

殺人者としての犯人は生きている。
残された私たちも生きている。
犯人を含めて、今生きている私たちは、
明日の社会を良くしてゆかなければならない。
これからの社会を良くしてゆくために、
いったい何が出来るのだろう?
それは、犯人を殺すことなんだろうか?

復讐したい気持ちはわかる。
自分もその立場になれば、きっとその気持ちに、その激情に翻弄され突っ走ってしまうことだろう。

私たちに何が出来るんだろう?
9年の歳月、本村氏がそのことだけを考え、考え抜いた。
彼は「やったー、勝利だー」などと単純には考えていないだろう。
私たちは、その心情の奥深くに、どれだけ迫れるのだろう?
「犯人を含む3人の命が犬死ににならないように、どんな社会を作っていけばいいのか、みんなが考えていかなければならないと思います」
その言葉の重さ、私たちはどこまでついて行けるのだろうか?

ただ、現在の法律では、死刑は存在するし、死刑の存在を前提にして法体系が組まれている。
現状の法体系では、この結論に従ってゆくしかない。

やがて来る裁判員制度で、私たちは犯人を殺す選択を迫られる。
民間人が死刑を決定できる制度は世界で例を見ないそうだ。
私たち自身が殺人者とならなければならなくなる日が来る。

世界的潮流にあわせて、しばらく止まっていた死刑執行が
バブルがはじけて、
社会不満がつもってゆく中、
いつの間にか復活してしまった。
それ以降、毎年、1名以上、必ず死刑執行を実施している法務省。

近年の厳罰化の流れは、ただ単に社会不満を殺人ショーで代償させようとしている政府の意図だと考えるのはうがった考え方かもしれない。
(内乱罪は死刑だからあまりこんな発言はしない方が良い)

小泉政権が「悪いのは全部北朝鮮のせいだ」とすり替えていた事と似ては居ないか?(だから、こんな発言はよしなさいよ)

私たちが真剣に考えなければいけないのは、生活苦や教育の不行き届きが犯罪の温床を作り出しているのではないか。という問題ではないのか?
なぜ、銀行の金利がこんなに安いんだって事ではないのか?
役人が数億円を使い込んでいる中、生活苦で非行や犯罪に走る人が生まれているのではないのか?

なにが正しいのかは、わからない。
死刑が正しいのか、死刑廃止が正しいのかもわからなくなってしまった。

ただ、ステレオタイプな報道に惑わされることなく、
みんなが幸せになるためには、
自分はどう生きていくべきなのかを
ひとりひとりが考えていければなぁ。と漠然と思う。

もうすこし、よく考えてみたいと思う。

  
03月31日付 日経新聞の報道「クリントン氏、撤退せず・8月党大会まで選挙戦継続」へのコメント:

初の女性大統領か!?
初の黒人大統領か!?
という戦いのアメリカ大統領選。

ドラマ「24」のおかげで黒人大統領に人気が集まっているようです。
ドラマのように暗殺計画とかたてられてなきゃいいんだけど・・。

さて、負けそうなクリントンさんですが、撤退拒否だそうです。
「黒人よりも女性よ!人口の半分が女性なのよ!なんで黒人なんかに大統領の座を渡さなきゃいけないのよ」という心の声が聞こえるようです。(苦笑)

いつまでもしがみつくのが女性のワルイトコって気もしますが、あきらめた時の変わり身の速さも女性の特質でしたっけ?
ま、性差よりも個人差の方が大きいのをいつでも忘れちゃいけないよっと。

いっそ、黒人女性大統領候補が現れれば、丸く収まるのに。(笑)

わらっちゃいかんか・・・。

  
01月27日付 朝日新聞の報道「初マラソンの福士、30キロすぎの暗転 大阪国際」へのコメント:

トレーニングでも最高30kmしか走っていなかったそうで・・・。

オーバーラップするんですよ・・・。

私もこないだの4hで30kmしか走っていないわけで・・。

「フルマラソンは30kmを過ぎたところに魔物が住んでいる」
と言う話はよく耳にします。
そっかー。魔物に魅入られたら、あんな風に笑いながら転ぶのかー。・・・・。

ま、転んだ時は、ぼんやりしてて痛くなさそうだからいいか(笑)

  
12月25日付 朝日新聞の報道「ドコモ、グーグルと提携強化 来春にも新機能」へのコメント:

まずは、
お!やっとドコモが重い腰上げたか!と期待感。

iモードなんてFOMAまでのつなぎでしかない技術で、あんなもなぁヒットしねぇよ。とうそぶいていた私の予測が裏切られて、もうかれこれ7〜8年。
数年後にFOMAが始まってもiモードは消えず、オープンなネット環境はついに構築されないままで、私は非常に不満だった。

ここにきて、やっとiモードなんて囲い込みをやめてくれるのか、ありがとうドコモ!と期待したんですよ。

なんでわざわざ携帯専用のメールアドレスを使わなきゃならないのか?
なんでiモードなんてメニューを介さないとコンテンツにたどり着けないのか?
なんでホームページ見るのに毎月の使用料支払いをドコモにしなきゃいけないのか?
iモードが始まったときに「うそだろ!」と思っていた不便がやっと解消される!と思ったんですよ。最初は。

でも、
ドコモはどうもそんな感じじゃないようで。
自分の独占利益は手放さないまま、オープンのふりだけするようです。

グーグルのOSを携帯電話に搭載する。という将来図の描き方がもうダメダメ。
携帯電話は、個人で買うもので、通信会社はSIMだけ売ってりゃいいんですよ。SIM差し替えれば、どこのメーカーの携帯電話とどこの携帯キャリアの組み合わせでも使える。これが当たり前。

総務省!公正取引委員会!
てめえら漫然としてずに、取り締まれ!どう考えても違反行為だぞ!

なのに、ドコモは自前の携帯電話を売り続ける気マンマン。

これじゃ、日本の携帯電話会社はいつまでたっても世界に通用しない電話しか作れない。
市場が自由化されてるアメリカでもiPhoneなんて高機能電話が出だしてるんだから、世界最先端の高機能携帯電話をもっと世界で普及できる仕組みを作っていかなきゃダメ!
世界中のすべての国でiモードが採用されるなんてことはあり得ないんだから「iモード付き携帯電話しか売りません」なんて経営やってちゃダメ!
あれよあれよでi-Phoneに高性能携帯電話市場を持って行かれちゃうよ。

PCメールを受信できても、携帯メールアドレスでしか送信できない端末なんて、不便でしかたない。
「返信」したとたんに、すべてのメールが携帯に流れ込んでしまう。
そして、携帯メールを確認するにはパケット代を使わざるを得ない。
こんなの、携帯電話会社の陰謀でしかあり得ない。

これが便利だ。と言っている日本人っていかがなものかと思う。

  
12月25日付 朝日新聞の報道「JR東海、全額自己負担でリニア新幹線 「国は待てぬ」」へのコメント:

大丈夫なのかなぁ。JR東海。
そりゃ東海道新幹線の利益は全部JR東海のものなんだから強気の経営戦略なんだろうけど・・。

リニアが開業したら従来新幹線は乗客数ゼロに限りなく近くなるわけだし、廃線にはできないから経常支出は減らせないわけで。

東京〜大阪間の旅客数って新幹線と飛行機を足した数で、ほぼ上限じゃないのかなぁ。本数が増えたら乗客数も増えるのかなぁ。
新規顧客の開拓をするのかなぁ。
東海道新幹線の特急料金を安くするとかすれば、バス客も取り込めるかな?でも価格が全然違うもんなぁ。

新線ひくのに本当に5兆円で済むんだろうか?っていうのも疑問だなぁ。特に都心部。土地取得は門外漢だからよく分かりませんがねぇ。

東京〜名古屋にバイパスが出来るわけで、旧路線沿線の価値下落も気になるし、バイパス側の駅付近の文化破壊も気になる。
甲府駅なんかは活気が出来て良いんだろうけど、日本アルプスに行きやすくなると言うのは、どうなんだろう?ハイヒールで山登りが出来る環境作りとか始まりそうでなんだかやだなぁ。

個人的にはリニアモーターカーって、子どもの頃の小学館の学習雑誌で「未来の日本」って特集ではいつも壁掛けテレビと共に紹介されていたから、やっぱり期待感は大きいんですが・・。

大人になるって現実を見つめてしまいますよね。ううむ。

  
11月28日付 日経新聞の報道「守屋容疑者への参院出張尋問、東京地検が協力姿勢」へのコメント:

妙に素早い逮捕だなぁと思っていました。
自民党は早急にしっぽ切りして、
あいつだけが悪いんですよ〜ってイメージを作りたかったんだろうな。と。

ところがなんてこたぁない。
参議院で証人喚問されないように
さっさと逮捕したってだけですか。

いわゆる「保護した」って感じですね。
奥さんも逮捕って言うことは、
拘置所の特別個室で夫婦揃ってテレビでもながめているんでしょうねぇ。
各方面の関係者呼びつけて指示出してるかも。

「オレを売ったらあんたらも刺すぞ」って議員に刃物突きつけた「テンノウ」は国会議員なんかより、一枚も二枚も上手ですね。

国家の構造というものを知り尽くしている。

あー、やだやだ。

  
南アフリカマンデラ前大統領、アナン前国連事務総長、カーター米元大統領が国際的な人道グループ「エルダーズ(年配者たち)」を設立。

マンデラ氏の言葉
「不安があるところは勇気を支援し、紛争があるところは合意を育み、絶望があるところには希望を与えるだろう」

そうか、不安には勇気か。
勇気って言葉には、無謀というイメージがつきまとうんだけど、
不安とセットになると、良い言葉だなぁ。

ただし、どの行動にも「智慧」がないと悪く転がるよね。
年配者の叡智、信じたいものです。

  
  
06月14日付 朝日新聞の報道「社保庁、年金相談急仕立て 増員は素人派遣頼み」へのコメント:

ちょっと待って!

フリーダイヤルに7万件通話殺到とか
コールセンター増員とか
それ、誰が許可したんだ?

北海道から沖縄まで何万件もの電話代は誰が払うんだ?
おいちょっとまて国民!
年金また食いつぶされてるぞ!
社会保険庁ってところは、
平気でそういうことに年金使いつぶす体質のところだぞ!

解体されるから最後の花火っていって、
これでバックマージンもらってる幹部がうはうは言ってるだけだぞ!

もっと増員しろって、安部ちゃん、あんたばかぁ〜???

即刻中止しろぉーーーー!!!

  
01月28日付 朝日新聞の報道「「女性は子ども産む機械」柳沢厚労相、少子化巡り発言」へのコメント:

なんなんでしょうか。
この話、めっちゃ腹が立って仕方がないんです。

少子化問題はどう解決していくべきか、
主婦労働の省力化、女性の労働環境、男性の自由な生き方。
社会の根幹からいろんな事を考えていかなきゃならない問題で、外国人労働のあり方とか育児放棄の原因とか派生問題もいっぱいあるんです。

ま、そんな事は、国民は承知のことなんですが、この少子化担当大臣は、こんな発言をしてしまうんですね。

もちろん私は男です。

女性団体が「私らは機械か!」と怒るのは、どうぞそちらでやっておいてください。と言う立場です。

いやね。
きっと、私がとっても腹立たしいのは、そんなことじゃないはずです。

発言を読んでみるとね。
この人は、「子供を育てる大事さ」なんて事はこれっぽっちも考えていない。
「数が少なくなった、増やさなきゃならない」
そんな風にしかとらえていない。

少子化問題もいろんな捉え方があると思うんだけど、
今、一番危惧するべきなのは、「子供を育てる幸せ」というものが社会全体でないがしろにされている。ってことだと思うんですよね。
そういう幸せがキチンと保証されているんなら、本当のところ国民にとっては、数なんて増えなくてもいいのかもしれない。

でも、この人は、「数を増やせ」がまず、ありきなんですよ。
なぜ、そんなに数を増やせにこだわるの?
そこに強烈な疑問符がわき上がります。

もちろん、数が減ったらインフラ維持一つとっても問題ですよ。
でも、それはそれで考えれば良い事じゃない。
なのに、「一人一人にがんばってもらうしかない!」発言。

よく考えてみると、私が猛烈に腹立たしいのは、
この官僚出身の大臣は、とどのつまり「少子化問題は税収の減少問題」としかとらえてないと言うことがありていにわかるからなんですよね。
結局、税金を搾り取ることしか考えてない。
「税金が入ってくるんなら子供が減ろうが知ったこっちゃない。」
「自分の子供は自分で勝手に産めよ。」
そう考えているとしか思えない。

私らが金のない力のない若い時代に、涙を流しながら育ててきた子供のことを「収奪装置」としか考えていない。

はっきり言って、そんな風にお上が考えているから、子供は増えないんですよ。
なんで役人の私利私欲のための「税金収奪装置」を涙流しながら育てなきゃいけないんですか!

そんなあほらしいこと誰もしたくない!

だから空前のペットブームなんですよ。

ほんとっ!

この人が少子化担当大臣辞めないんなら暴動起こしましょうよ!全国の親御さん!

それぐらい、当たり前でしょ!

 

  

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