麻生氏の真意は、「粛々と自民党草案に改憲したい。」だと思う。
会合の場所も司会者も参加者もそういう人たちばかりだ。
乱暴に要約すれば、「戦前に戻したい」という憲法だ。
確かに、今の日本には憤りを感じる。
日本固有の文化をどんどん失い、クリスマスだハロウィーンだと根っこのない文化に浮かれている。
日本の夏は欧米より暑いし、湿気の高い亜熱帯で、なぜ欧米のような服を着て欧米のような家に住んでいるのか?
高カロリーの欧米食も、日本の風土から生まれるものではない。
なぜそこまで我慢しなければならないのか、疑問である。
だが、そんな事を考えるのは、50を過ぎた年寄りだからかもしれない。
若い人たちは、欧米文化で育ち、日本なんてアメリカの州になれば良いとおもっている人も多いかもしれない。
もう、ここまで来てしまったら、それもありかな、なんて思う。
iPod, YouTube, facebook, Google,..etc. etc...
年寄り達、日本文化を守りたい人たち、そんな人たちが、憲法を変えて、日本らしさを取り戻したい。そんな事を考えてしまうのもわかる。
だが、「粛々と」では、困る。
「いやだ」という人たちの言葉は、確実にある。
アメリカでもない、中国でもない、ロシアでもない。
日本は日本として、独自の道を歩むという決意は大事だろう。
だが、粛々と決められては困る。
粛々と決めるのが、日本文化だ。というのなら、それは、困る。
今の自民党草案は、「戦前に戻す」である。
では、先の戦争に何を学んだのか?
あの戦争は良かったのか悪かったのか?
あれだけの死者を出した戦争が良いはずはない。
あの戦争の、何がダメだったのか、何を禁止・抑止するべきなのか?
そういう視点が、全くない。
ドイツは、ナチス的な政党の禁止や民族蔑視の禁止、大量殺戮の禁止などがキチンと制定されている。
関係者もみんな死んだんだから、
昭和天皇の戦争責任や、国民の熱狂も含めて、太平洋戦争を総括し、
何がいけなかったのか、何を禁止するべきなのか、それをキチンと決め
次のステップへと進むべきだ。
反省もせず、前に戻すでは、同じ事ばかり繰り返す、馬鹿のやる事だ。
日本人は、馬鹿ではない。そう信じたい。
会合の場所も司会者も参加者もそういう人たちばかりだ。
乱暴に要約すれば、「戦前に戻したい」という憲法だ。
確かに、今の日本には憤りを感じる。
日本固有の文化をどんどん失い、クリスマスだハロウィーンだと根っこのない文化に浮かれている。
日本の夏は欧米より暑いし、湿気の高い亜熱帯で、なぜ欧米のような服を着て欧米のような家に住んでいるのか?
高カロリーの欧米食も、日本の風土から生まれるものではない。
なぜそこまで我慢しなければならないのか、疑問である。
だが、そんな事を考えるのは、50を過ぎた年寄りだからかもしれない。
若い人たちは、欧米文化で育ち、日本なんてアメリカの州になれば良いとおもっている人も多いかもしれない。
もう、ここまで来てしまったら、それもありかな、なんて思う。
iPod, YouTube, facebook, Google,..etc. etc...
年寄り達、日本文化を守りたい人たち、そんな人たちが、憲法を変えて、日本らしさを取り戻したい。そんな事を考えてしまうのもわかる。
だが、「粛々と」では、困る。
「いやだ」という人たちの言葉は、確実にある。
アメリカでもない、中国でもない、ロシアでもない。
日本は日本として、独自の道を歩むという決意は大事だろう。
だが、粛々と決められては困る。
粛々と決めるのが、日本文化だ。というのなら、それは、困る。
今の自民党草案は、「戦前に戻す」である。
では、先の戦争に何を学んだのか?
あの戦争は良かったのか悪かったのか?
あれだけの死者を出した戦争が良いはずはない。
あの戦争の、何がダメだったのか、何を禁止・抑止するべきなのか?
そういう視点が、全くない。
ドイツは、ナチス的な政党の禁止や民族蔑視の禁止、大量殺戮の禁止などがキチンと制定されている。
関係者もみんな死んだんだから、
昭和天皇の戦争責任や、国民の熱狂も含めて、太平洋戦争を総括し、
何がいけなかったのか、何を禁止するべきなのか、それをキチンと決め
次のステップへと進むべきだ。
反省もせず、前に戻すでは、同じ事ばかり繰り返す、馬鹿のやる事だ。
日本人は、馬鹿ではない。そう信じたい。
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