京都で民俗学会に出席する。
行きの電車で「レ・ミゼラブル」をキンドルで読む。
ああ、カトリックというのは、こういう考え方が理想なのだ。
などと理解しながら到着。
興味深い発表は「震災と祭の復興」
なにもかも流された町で、山車は無いけど太鼓だけで祭を開催。
仮設住宅の町開きで獅子舞いならぬ虎舞いを復興。
「ああ、仮設のここで死んでゆくんだな」と言ってた年寄りが
「やっぱり、ここを出て、自分の生活を始めよう」と思ったと報告。
グローバル化が進み、初詣よりクリスマスの方が大事にされる時代でも
「虎舞い」を見る事で、生きる勇気が湧く。
みんなが同じものを見るのも大事かもしれないけれど、
そこにある、そこだけのものは、もっと力を与えてくれる。
帰りの電車で、キンドルを開きかけたが、キリスト教の布教書のような書籍を読むには、頭の中が盆行事や神道や地域信仰が渦巻いてとうてい無理。
昨日の夜読んでいた、「星の王子さま」を読みたいと思った。
手にしているのはキンドル。
3G回線付きだからどこでも本が買える。
よーし、調子に乗って「星の王子さま」を買ってやる!と思ったものの、著作権切れ新翻訳ブームに乗って、「星の王子さま」だらけ。
しかも、内藤濯版はキンドルにない。
うーむ、そういえば、新訳ものは全然知らない。
よくわからん、よくわからんが、読みたい。
なんでもいいから読みたい。
いろいろある中(Amazon版なんてのもあった)えいやっと角川文庫版を選ぶ。
あちゃー、大失敗。
私には全然合わない。王子のセリフがぞんざいすぎる。
やんちゃなイメージにしたかったのかもしれないが、あんまりだ。
なんてことをしているうちに、家に着いたので、ちょっと調べてみる。
いったい、どれだけの「星の王子さま」が出ていて、どれがどうなんだ?
「星の王子さま総覧」というページを発見
http://www.lepetitprince.net/frameset.html
いやー、いろいろ勉強になりました。
本当に沢山の王子さまが出ていて、びっくり。
で、新訳ブームも落ち着いた昨今、書店の店頭ではいったいどうなっているんだろう?という疑問がむくむくとわき起こりました。
このページ主は、池澤夏樹版がメインになっちゃうんだろうな…。と曖昧な感想。ただ、低年齢向け「絵本版 星の王子さま」に関しては、手放しの評価。
うーん、そういう観点での翻訳は、確かに、「あり」だろうし、気になる。
「ドン・キホーテ」の岩波文庫版は400ページ×全三巻、しかも当時の文学の風刺ばかり。誰もこんな長大でつまらない本は読まないわけで、エッセンスだけ知れば十分。そういう観点は確かにある。
Amazonでは、なにも判らない。
とにかく、本屋へゴー!だ。
そして、ちょっとがっかり。
グランフロントの紀伊國屋書店に並んでいたのは、すべて内藤濯版。
文庫と愛蔵版。ポップアップ絵本。あとはフランス語対訳版(小島版)。
ちゃんとした本で内藤版でないのは、この「絵本版 星の王子さま」池澤夏樹訳だけがありました。
ちょっと高いけど、せっかくなので、購入。
翻訳はすばらしい。
すんなりと頭に入る。
ふりがな付きがちょっと目にうるさいけれど、目的通り。
そして、引っかかる部分がすべて省かれている。
これは、いい。
これは、すばらしい。
本質は、すべてある。
ひっかかるものは、なにもない。
これは、すばらしい。
と、思ったのは、その日だけ。
翌日になると、なにも残らなかった。
おいしいだけの食べ物は、なにも残らない。
変な味や、変な匂いが、どっかに引っかかって、気になる。
気になるから、思い出す。
思い出すから、考える。
なんども考えるから、好きになる。
そんな部分が、なにもない。
これは、いけない。
獅子舞が、虎舞いだから、やる気を起こす。自分だけのバラの花になる。
そういう、一番目に見えないものをなくしてしまっているんじゃないのか?
そんなことを考えました。
でも、それがただしいのかどうか、よくわからない。
できれば、みなさんも、かんがえてみてください。
行きの電車で「レ・ミゼラブル」をキンドルで読む。
ああ、カトリックというのは、こういう考え方が理想なのだ。
などと理解しながら到着。
興味深い発表は「震災と祭の復興」
なにもかも流された町で、山車は無いけど太鼓だけで祭を開催。
仮設住宅の町開きで獅子舞いならぬ虎舞いを復興。
「ああ、仮設のここで死んでゆくんだな」と言ってた年寄りが
「やっぱり、ここを出て、自分の生活を始めよう」と思ったと報告。
グローバル化が進み、初詣よりクリスマスの方が大事にされる時代でも
「虎舞い」を見る事で、生きる勇気が湧く。
みんなが同じものを見るのも大事かもしれないけれど、
そこにある、そこだけのものは、もっと力を与えてくれる。
帰りの電車で、キンドルを開きかけたが、キリスト教の布教書のような書籍を読むには、頭の中が盆行事や神道や地域信仰が渦巻いてとうてい無理。
昨日の夜読んでいた、「星の王子さま」を読みたいと思った。
手にしているのはキンドル。
3G回線付きだからどこでも本が買える。
よーし、調子に乗って「星の王子さま」を買ってやる!と思ったものの、著作権切れ新翻訳ブームに乗って、「星の王子さま」だらけ。
しかも、内藤濯版はキンドルにない。
うーむ、そういえば、新訳ものは全然知らない。
よくわからん、よくわからんが、読みたい。
なんでもいいから読みたい。
いろいろある中(Amazon版なんてのもあった)えいやっと角川文庫版を選ぶ。
あちゃー、大失敗。
私には全然合わない。王子のセリフがぞんざいすぎる。
やんちゃなイメージにしたかったのかもしれないが、あんまりだ。
なんてことをしているうちに、家に着いたので、ちょっと調べてみる。
いったい、どれだけの「星の王子さま」が出ていて、どれがどうなんだ?
「星の王子さま総覧」というページを発見
http://www.lepetitprince.net/frameset.html
いやー、いろいろ勉強になりました。
本当に沢山の王子さまが出ていて、びっくり。
で、新訳ブームも落ち着いた昨今、書店の店頭ではいったいどうなっているんだろう?という疑問がむくむくとわき起こりました。
このページ主は、池澤夏樹版がメインになっちゃうんだろうな…。と曖昧な感想。ただ、低年齢向け「絵本版 星の王子さま」に関しては、手放しの評価。
「そこでちょっと心配なことがある。『星の王子さま』にはすばらしい絵があるから幼い子も入っていける。だが、その先で文章の論理がむずかしかったり、譬喩がわかりにくかったりする部分でつまずいて、それっきりこの本との縁が切れてしまったりしたらどうしよう?それはその子にとってとてももったいないことだ。」
うーん、そういう観点での翻訳は、確かに、「あり」だろうし、気になる。
「ドン・キホーテ」の岩波文庫版は400ページ×全三巻、しかも当時の文学の風刺ばかり。誰もこんな長大でつまらない本は読まないわけで、エッセンスだけ知れば十分。そういう観点は確かにある。
Amazonでは、なにも判らない。
とにかく、本屋へゴー!だ。
そして、ちょっとがっかり。
グランフロントの紀伊國屋書店に並んでいたのは、すべて内藤濯版。
文庫と愛蔵版。ポップアップ絵本。あとはフランス語対訳版(小島版)。
ちゃんとした本で内藤版でないのは、この「絵本版 星の王子さま」池澤夏樹訳だけがありました。
ちょっと高いけど、せっかくなので、購入。
翻訳はすばらしい。
すんなりと頭に入る。
ふりがな付きがちょっと目にうるさいけれど、目的通り。
そして、引っかかる部分がすべて省かれている。
これは、いい。
これは、すばらしい。
本質は、すべてある。
ひっかかるものは、なにもない。
これは、すばらしい。
と、思ったのは、その日だけ。
翌日になると、なにも残らなかった。
おいしいだけの食べ物は、なにも残らない。
変な味や、変な匂いが、どっかに引っかかって、気になる。
気になるから、思い出す。
思い出すから、考える。
なんども考えるから、好きになる。
そんな部分が、なにもない。
これは、いけない。
獅子舞が、虎舞いだから、やる気を起こす。自分だけのバラの花になる。
そういう、一番目に見えないものをなくしてしまっているんじゃないのか?
そんなことを考えました。
でも、それがただしいのかどうか、よくわからない。
できれば、みなさんも、かんがえてみてください。
コメント
岩波少年文庫が貸したまま帰ってこないので
新潮文庫を買ったところです。びっくり。
低年齢向け、なんて区分けを作っちゃ、よろしくないなあ。
「ぼくが、バラのために費やした時間…」忘れないでいるために、王子さまはくり返した。
「人間たちは、こういう心理を忘れてしまった」キツネは言った。でも君は忘れちゃいけない。きみは、なつかせたもの、絆を結んだものには永遠に責任を持つんだ。きみは、きみのバラに、責任がある…」
河野万里子訳。
ひらがなが多く、やわらかい言葉づかいで読みやすいです。
僕も王子さまも、イメージどおりでした。