生きる基本

2013年3月13日 日常
「歳を取るのがいやだ」という言葉を聞いた。

年寄りが歳を取るのがいやだという。
歳を重ねる事を「よくない」と設定すると、
人生は、生きる価値がないものになる。

「若い」方が良い。という考え方は、生きる基本として論理矛盾がある。

歳を重ねる毎に経験を積み、よりよい人生の智恵を蓄える。
見た目の若さや体力ばかりに囚われていると、人生がつまらなくなる。

「歳を取るのはいやだ」イコール「生きていくのはいやだ」と同義だ。

「若い方が良い」とした方が化粧品や体力増強装置が売れるので、
広告界では「若い方が良い」となっているが、そんな言葉にだまされてはいけない。
「キチンと歳を重ねる」それがよりよい生き方である。

それが、楽しく生きるための正しい論理だ。


 ☆ ☆ ☆


「子供を産んで損した」という言葉を聞いた。

子供のせいで自分のやりたかった事が全部出来なくなった。
子供なんて産まなければ良かった。という言葉を聞いた。

「自分のやりたかった事」とは何かは知らないけれど、
何らかの仕事をやり遂げたかったのであろう。

しかし、人は死ぬ。
やり遂げた仕事は、すぐに消える。
死んだ人間など49日を過ぎれば誰も思い出さない。

むなしいが、そういうものだ。

いやいや、人は死んでも、業績は残る。

はてさて、その業績さえ、何年持つものなのだろうか?
この先、人類の歴史に、どれほどのものを刻むものなのであろう?

エジソンやベートーベンのような偉人になるのかもしれない。
それは、立派な事だ。
しかし、ベートーベンの音楽も所詮数百年の歴史しかない。
バッハ以前の音楽など跡形もなく消えている。
エジソンの作ったGEという会社もいつまで残っているだろう?

業績さえも、はかなく、もの悲しいものだ。


唯一、永遠に残る可能性があるとすれば、子孫を残す以外に何があるだろう?

子供を二人、三人と残しておけば、途絶えることなく命は続いてゆく。
私がここにいた事を、確実に残してゆける。

当たり前だ。人間も生物なのだから、子孫を残す事こそが一番の目的である。

この生物として当たり前の事を否定した人生はつまらない。

自分が生きてきた証は何も残らないのだから。



そこにあるのは、

「自己満足」

その一言だけ。



あまりにむなしいと思わないのだろうか?


 ☆ ☆ ☆


「歳を取りたくない」という現実否定を続けていると、
こういう考え方になるんだと思う。


そこには「今」しかない。

過去も未来も関係性も愛も憎しみすらない。
延々と続く「今」。



これが広告が大声で怒鳴り続けてきた結果だとすると
「広告の大罪」ではないだろうか?

もちろん、昔ながらの良家の大家であれば、こんな事はきちんと伝え続けている事であろう。
その証拠に、大金持ちは子沢山だ。

貧乏人は、広告に惑わされ、個々に分断され、力を失ってゆく。

それだけの事だ。


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