アベノミクスには期待してる。
デフレ不況は脱しなければならない。
言ってみれば、社会の鬱病だ。
少子化で需要が減少するとはいえ、
取引の全体量が減るだけで、一つ一つの取引は、変わらない。
人が産まれ、死ぬまでに必要な量は変わらない。
全体で見るから減るが、作る人も減る。
将来不安は、漠然とした不安でしかない。
漠然とした不安で経済活動を止めてしまっているのは、鬱病としか言えない。
もちろん、「従来通り」では立ちゆかなくなっているから、一度足を止めているのだが。
従来通りに戻すようではアベノミクスは失敗するだろう。
壊すものは壊す。これが大事だ。
小規模で済むものは小規模に置き換える。そんな公共投資を望んでいる。
幸いな事に、大量消費社会を経験したおかげで
人手を介さずモノを作るインフラは十分に整備された。
無人工場、POSシステム、消費予測自動受発注システム。
金融市場でもビッグデータ解析による市場動向予測解析により株取引は秒単位で自動売買される。
生きてゆくための、大半の仕事はすでに人間の手から離れている。
人は、人間らしい仕事をすればよい。
こんな投稿が目に付いた。
「電車でお年寄りに席を譲ったら、座らずに荷物だけ置いた。混んでるから座ってくれたらありがたいのに」
これへの回答は「立ち座りで痛みを感じるお年寄りも居る事に気づいて」だ。
こんな投稿をする人は立派な人だ。
お年寄りにちゃんと席を譲ろうとしているし、なぜ座らないか疑問に思い、他人に尋ねている。
PDCA(Plan-Do-Check-Act)サイクルをキチンと行っている。立派な大人になるはずだ。これにへこたれずがんばって欲しい。
私が気付いたのは、高齢化は多様化でもある。ということだ。
歳を経ると身体も精神も人それぞれ特殊な変化をしてゆく。
ある人は膝が痛い、ある人は頑固に。機械的では済まされない個人的な理由を抱え込んでゆく。
何度も言っているが、短所と長所は特徴の言い換えに過ぎない。
ユニークな特性は、特徴を生み、短所と長所を生む。
これを負担と考えるか、可能性と捉えるかで世界は異なって見えてくる。
画一的な商品に囲まれて、画一的な利便性に合わせて暮らしてきた私たちが、それ以上の快適さを求められるような整備のためには、ユニークな特性の事例が豊富にある事、そしてそれに対応する新分野は宝の山だ。
自動機械で自動的に稼ぎ出す利益は、全体に分配してしまえばいい。
人は、その上に築く、人にしかできない、幸せを産み出す仕事をするべきだ。
デフレが続けば、モノの価値が下がる。
モノの価値が下がるとき、金を貯め込めば、相対的に得をする。
だから、大企業は内部留保ばかりを増やしている。
投資家への配当も問題だと思うが、内部留保を増やすだけの金持ちは、人の心のない自動機械のような会社だ。
人は、人と生きている。
経済は回らないと、新たな価値が産まれない。
他人が死ねば、回り回って自らの首を絞める。
そんな当たり前の事を昔の金持ちは知っていた。
自動投資システムにも、人の心を通わせる必要がある。
利益が見込めなくても、社会への投資をしなければ、この社会自体が潰れてしまう。
マーケティングは延長線しか描けない。
未来を描く事が人間のする事だ。
そして、将来の設計図を明るいものにしようとしない人は居ない。
未来とは、常に、あかるいものなのだ。
デフレ不況は脱しなければならない。
言ってみれば、社会の鬱病だ。
少子化で需要が減少するとはいえ、
取引の全体量が減るだけで、一つ一つの取引は、変わらない。
人が産まれ、死ぬまでに必要な量は変わらない。
全体で見るから減るが、作る人も減る。
将来不安は、漠然とした不安でしかない。
漠然とした不安で経済活動を止めてしまっているのは、鬱病としか言えない。
もちろん、「従来通り」では立ちゆかなくなっているから、一度足を止めているのだが。
従来通りに戻すようではアベノミクスは失敗するだろう。
壊すものは壊す。これが大事だ。
小規模で済むものは小規模に置き換える。そんな公共投資を望んでいる。
幸いな事に、大量消費社会を経験したおかげで
人手を介さずモノを作るインフラは十分に整備された。
無人工場、POSシステム、消費予測自動受発注システム。
金融市場でもビッグデータ解析による市場動向予測解析により株取引は秒単位で自動売買される。
生きてゆくための、大半の仕事はすでに人間の手から離れている。
人は、人間らしい仕事をすればよい。
こんな投稿が目に付いた。
「電車でお年寄りに席を譲ったら、座らずに荷物だけ置いた。混んでるから座ってくれたらありがたいのに」
これへの回答は「立ち座りで痛みを感じるお年寄りも居る事に気づいて」だ。
こんな投稿をする人は立派な人だ。
お年寄りにちゃんと席を譲ろうとしているし、なぜ座らないか疑問に思い、他人に尋ねている。
PDCA(Plan-Do-Check-Act)サイクルをキチンと行っている。立派な大人になるはずだ。これにへこたれずがんばって欲しい。
私が気付いたのは、高齢化は多様化でもある。ということだ。
歳を経ると身体も精神も人それぞれ特殊な変化をしてゆく。
ある人は膝が痛い、ある人は頑固に。機械的では済まされない個人的な理由を抱え込んでゆく。
何度も言っているが、短所と長所は特徴の言い換えに過ぎない。
ユニークな特性は、特徴を生み、短所と長所を生む。
これを負担と考えるか、可能性と捉えるかで世界は異なって見えてくる。
画一的な商品に囲まれて、画一的な利便性に合わせて暮らしてきた私たちが、それ以上の快適さを求められるような整備のためには、ユニークな特性の事例が豊富にある事、そしてそれに対応する新分野は宝の山だ。
自動機械で自動的に稼ぎ出す利益は、全体に分配してしまえばいい。
人は、その上に築く、人にしかできない、幸せを産み出す仕事をするべきだ。
デフレが続けば、モノの価値が下がる。
モノの価値が下がるとき、金を貯め込めば、相対的に得をする。
だから、大企業は内部留保ばかりを増やしている。
投資家への配当も問題だと思うが、内部留保を増やすだけの金持ちは、人の心のない自動機械のような会社だ。
人は、人と生きている。
経済は回らないと、新たな価値が産まれない。
他人が死ねば、回り回って自らの首を絞める。
そんな当たり前の事を昔の金持ちは知っていた。
自動投資システムにも、人の心を通わせる必要がある。
利益が見込めなくても、社会への投資をしなければ、この社会自体が潰れてしまう。
マーケティングは延長線しか描けない。
未来を描く事が人間のする事だ。
そして、将来の設計図を明るいものにしようとしない人は居ない。
未来とは、常に、あかるいものなのだ。
コメント