六つに割れた美しい腹筋を見る時、「すげぇな」とか「頑張ったんだなぁ」とか「あたしには無理!」とか人によりいろいろ感じる。
もちろん「無理!」ではなく、誰でもやれば出来る。
ただ問題は、「やらなければ、戻る。」という点にある。
あの美しい腹筋も儚い命で、ひと月もすればただの腹に戻る。
維持管理をし続けていることで、美しい腹筋は実現されている。
その労力と時間コストを考えた時「私には無理!」は正しい。
それは、掃除に似ているかもしれない。
美しい家を保つ方法は、汚れに気づいた時、その場でそこだけ掃除する。
これを続けることで美しい家は実現できる。
週末にまとめて掃除しても、「やった!」という満足感は得られても、美しさは得られない。それは体を動かした満足感であり、残りの6日間は汚いという不満の中で暮らさねばならない。
掃除というのは「汚れ」が「消える」の積み重ねであり、「問題を放置しない」という生き方の問題である。
「美しい国」も同じじゃないのかと思った。
少子化で物が余り、それでも作り続ける事でデフレが起きているのに、成長の幻想を捨てられない投資家に配当を続けるために、赤字国債を発行してでもモノを作り続けて、美しい国は達成できるのだろうか?
カンフル剤としての公共事業は結構だと思うが、無駄を壊す公共事業であるべきだと思う。国土強靱化は結構だが、新規建造ではなく、必要なものを補強する、不要なものを壊す、この選別をしっかりやって欲しい。どちらをやっても土建屋が動き、金が回るのだから、カンフル剤としては効果がある。
2030年頃にはインフラ維持だけで国家予算を食い潰す時代が来るという。
今、その判断をし、問題を潰してゆく日々の努力がない限り、美しい国は達成できないと思う。
美しい腹筋は維持努力にかける精神力の美しさだ。
夏の参院選だけを見つめる選挙運動用バラマキ政治には美しさがない。
もちろん「無理!」ではなく、誰でもやれば出来る。
ただ問題は、「やらなければ、戻る。」という点にある。
あの美しい腹筋も儚い命で、ひと月もすればただの腹に戻る。
維持管理をし続けていることで、美しい腹筋は実現されている。
その労力と時間コストを考えた時「私には無理!」は正しい。
それは、掃除に似ているかもしれない。
美しい家を保つ方法は、汚れに気づいた時、その場でそこだけ掃除する。
これを続けることで美しい家は実現できる。
週末にまとめて掃除しても、「やった!」という満足感は得られても、美しさは得られない。それは体を動かした満足感であり、残りの6日間は汚いという不満の中で暮らさねばならない。
掃除というのは「汚れ」が「消える」の積み重ねであり、「問題を放置しない」という生き方の問題である。
「美しい国」も同じじゃないのかと思った。
少子化で物が余り、それでも作り続ける事でデフレが起きているのに、成長の幻想を捨てられない投資家に配当を続けるために、赤字国債を発行してでもモノを作り続けて、美しい国は達成できるのだろうか?
カンフル剤としての公共事業は結構だと思うが、無駄を壊す公共事業であるべきだと思う。国土強靱化は結構だが、新規建造ではなく、必要なものを補強する、不要なものを壊す、この選別をしっかりやって欲しい。どちらをやっても土建屋が動き、金が回るのだから、カンフル剤としては効果がある。
2030年頃にはインフラ維持だけで国家予算を食い潰す時代が来るという。
今、その判断をし、問題を潰してゆく日々の努力がない限り、美しい国は達成できないと思う。
美しい腹筋は維持努力にかける精神力の美しさだ。
夏の参院選だけを見つめる選挙運動用バラマキ政治には美しさがない。
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