金爆というパラダイム
2012年9月23日 日常紀勢線の車窓から海岸線を見ていると、白砂青松なんて一部観光地の出来事で、現実の岸辺っていうのは、こんなもんだってことを思い出させられた。
灰色の砂と砂利、名前も知らない海藻。
観光地の白砂青松だって、毎年砂を買ってきて蒔いているだけなのだし、ポスターの海岸なんてポスターだけのものだ。
私達は何かバーチャルなものを期待することに慣れすぎているのかもしれない。
ゴールデンボンバーのPVを見ていると、彼等は虚構と現実の隙間に居を構え、その差異に価値を求める という新しいパラダイムに打ち負かされてしまう。
鬼龍院翔、この名前に対して評論を書いても、スルリと手から抜け落ちそうだ。
エアーバンドという形態を選んだ彼は、バンドを取り巻く嘘くささやバンドに熱狂する女共を冷ややかに見つめるが、それを否定することはしない。表面の「熱狂」のみをサクッと掠め取る事で、既存バンドの皮を剥ぎ盗り、「結局中身って何?」と踊り続ける。
真昼間の、汚れもあからさまなネオンの下で踊る彼らは、白砂青松はないことも知りながらビーチを信じろと育てられた世代のリアルな生き様なのだろう。
勝ち組だのエリートだのお受験だの夢を強要され、その現実乖離を子供の頃から味わい続けている世代の生き方そのものなのだろう。
現実乖離した年寄りの夢に合わせ、結果、働く口もなく、生活保護は充実し、
親世代は金持ちだが、自分には自分の生き方が許されていない。
地方の惨状をみると都会という虚構に振り回されている人々を憂いていたが、虚構に生きる彼等は、虚と実の狭間自体を売り歩き生活の糧としている。
軽やかというよりシブトイ。
地を這うようなフナムシのような生き方に恐怖と尊敬の念を抱く。
灰色の砂と砂利、名前も知らない海藻。
観光地の白砂青松だって、毎年砂を買ってきて蒔いているだけなのだし、ポスターの海岸なんてポスターだけのものだ。
私達は何かバーチャルなものを期待することに慣れすぎているのかもしれない。
ゴールデンボンバーのPVを見ていると、彼等は虚構と現実の隙間に居を構え、その差異に価値を求める という新しいパラダイムに打ち負かされてしまう。
鬼龍院翔、この名前に対して評論を書いても、スルリと手から抜け落ちそうだ。
エアーバンドという形態を選んだ彼は、バンドを取り巻く嘘くささやバンドに熱狂する女共を冷ややかに見つめるが、それを否定することはしない。表面の「熱狂」のみをサクッと掠め取る事で、既存バンドの皮を剥ぎ盗り、「結局中身って何?」と踊り続ける。
真昼間の、汚れもあからさまなネオンの下で踊る彼らは、白砂青松はないことも知りながらビーチを信じろと育てられた世代のリアルな生き様なのだろう。
勝ち組だのエリートだのお受験だの夢を強要され、その現実乖離を子供の頃から味わい続けている世代の生き方そのものなのだろう。
現実乖離した年寄りの夢に合わせ、結果、働く口もなく、生活保護は充実し、
親世代は金持ちだが、自分には自分の生き方が許されていない。
地方の惨状をみると都会という虚構に振り回されている人々を憂いていたが、虚構に生きる彼等は、虚と実の狭間自体を売り歩き生活の糧としている。
軽やかというよりシブトイ。
地を這うようなフナムシのような生き方に恐怖と尊敬の念を抱く。
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