40年越えは危ないと言ってもイメージが沸かない。
そこで、40年前、1972年製のものって何だろうと調べてみた。

まずクルマ。
1972年はケンメリのスカイラインが出た年である。
丸い四つ目のテールランプのスポーツカー。
懐かしい。
美浜原発の金属配管などは、この状態だろう。
コントロール系もパワステなし、パワーウインドなし、マニュアルミッション、カーラジオのみ、エアコンなしである。
地震に耐えられるのか?この配管。
福島も地震の時点で配管はやられていたと思う。水素爆発で証拠はなくなったし、警察も現場保存してないから、真相は闇の中だが。

建屋やコンクリート部分はどうなんだろう?
1972年の建物といえば、大阪万博の大屋根、EXPOタワー。ううむ、残っていない。
太陽の塔は残っているが、あれは建物だろうか。
腕がもげかけて補修、内部は立ち入り禁止である。外からみるとひび割れが激しい。
千里ニュータウンや泉北ニュータウンなど全国にニュータウンが出来たのがそのあたりだろうか。
一番有名な建物はニューヨークの世界貿易センタービル。
んー、不吉だ。
どれもこれも潰れたり建て替えられたりだが、古さの感覚はつかめてもらえただろうか。これが圧力容器や格納容器の古さだ。
もちろん、通常の建物ではない。常に熱と放射線に痛めつけられている。
40年放射能にさらされた建物の中で核反応を起こしている。
コンクリートに40年放射線を当て続けたら、どのように劣化するのか、その資料を私は持たないので専門家に任せるしかない。
東海第一が廃炉になっているのでデータはあるはずだ。

しかし、保安院は本当に保安をしているのだろうか?
原子力を40年で廃炉にしてゆくという決定は、原子力科学者にとって40年後に仕事が消えるという事だ。
原子力の専門家が保安に忠実だろうか。


そんな事を考えた。




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