戦争への足音

2012年3月5日 日常
あんまり好きじゃない森永卓郎が、私が妄想していたようなことを書いている。

民主党に嫌気が差し、自民党にはあきれかえる国民は、
強いリーダーを求める。
強いリーダーは、金融緩和を主導しロケットが上がったような経済の急回復が起きるだろう。

 これは、振り返れば大恐慌に見舞われた1930年代の先進国で起こったこととよく似ていると私は思う。1930年代、日本やドイツ、イタリアでは、「強いリーダー」が次々と登場し、経済的な低迷と社会的な閉塞感を打ち破るかたちで、強烈な指導力をアピールした。彼らは民主的な話し合いを否定し、場合によっては暴力的な改革を実施した。経済の浮揚効果もあって、そうした暴力的改革にますます国民の支持が広がっていった。

 私は最悪の場合、こういったことが日本でまた繰り返されてしまうのではないかと考えている。そして、カリスマ型リーダーは支持が頂点に達したところで本性をあらわす。

 そこで行われる政策の特徴は、ひとつには「社会的弱者」を生けにえにし、多くの国民に「この階層に比べれば自分たちのほうがましだ」と思わせることだ。ふたつめは、反対者への弾圧である。三つめは、厳しい思想統制・言論統制の実施だ。四つめが、対外協調路線から防衛力強化への転換だ。これが進むと戦時体制につながるのは歴史が教えるところだ。



●被差別者の創造
●反対者への弾圧
●思想統制・言論統制
●防衛力強化

「○○な考え方のやつなんか死んでしまえばよい」という考え方だ。

すでに、熱狂ははじまっている。

こんな事ばっかり書いている私は、いつ殺されるんだろうね。



 これから国政で行われようとされていることは、企業経営ともよく似ている。かつてカリスマに率いられていた西武百貨店やダイエーは、当初は業績もよく、魅力的な会社だった。西武百貨店のトップである堤清二氏が「おいしい生活」「ふしぎ大好き」というスローガンを打ち出していたときは、西武百貨店の売り場は最先端の情報を発信していた。ダイエーも、当初はメーカーの圧力に屈せず安売りをする庶民の味方として支持を得ていた。

 しかし、カリスマの支配が長期化するにつれて、すべての社員が上を見て行動するようになり、業績は次第に悪化した。上からの支持には逆らえないため、社員は自分の頭で考えることをしなくなったからだ。


 国民の不満は頂点に達している。私が恐れるのは、そうした閉塞状況を脱するためには、非民主的な手法で世の中を変革することを容認する社会になってしまうことだ。1930年代の世界史の経験が教えるのは、デフレが独裁体制を用意することがあるという事実である。全体のパイが縮小していくときには、他者への寛容の精神は失われ、弱者を切り捨てていく方向に政治経済体制は突っ走りかねない。今の日本はこのような状況を迎えているように私には見える。

 私は民主的な対話によって徐々に社会を変革するには、独裁政権の誕生を待たずに金融政策を緩和し、全体のパイを拡大することだと思う。そうした状況でこそ、大きな痛みなしに財政の健全化が図れる。



 だが、政府はあまりにも長きにわたってデフレを放置しすぎた。もうすべてが手遅れで、これから再び強い政治を支持する熱狂がやってくるのかもしれない。そうした時代状況の中でも正気を保てる人が一人でも多く残ってくれることを祈りつつ、ひとまずペンを置く。これまでのご支援、ありがとうございました。





あーあ、またひとり、退場しちゃった。

やだなぁ、うちの子は、戦場に行かせたくない。

失礼な物言いだが、子供のない人間には、この気持ちは、一生わからないと思う。

類推ではわからないものが確かにある。

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