●香山リカ:「ご遺体と対面したときの気持ちは?」で精神的な二次被害を生んだ
 「専門家」調査 ――東日本大震災1年を迎えて見えてきた「教訓」とは
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20120227/300520/?ml

 より「生々しい」調査を受けた方の話。

 初対面で見ず知らずの人から、「津波のときにはどこにいましたか?」「ご家族のうち何人が亡くなったのでしょうか?」「ご遺体と対面したときの気持ちは?」などと聞かれる。「私は実験台なのか」と、怒りや空しさがこみ上げてきたという。

 また、まだ家族を失ったことが現実だとも思えない時期なのに、どこかからカウンセラーがやって来て、「つらかったでしょう? 悲しい感情を全部、はき出しましょうね」と言われ、より混乱した人もいたようだ。

●子どもたちを集めて「海の絵を描いてみよう」と絵を描かせた
●学校で「大震災と私」という作文を書いてもらった


 こうした話も聞いた。これらも一歩間違えば、心の傷をえぐるような「危険な介入」になりかねない。



 以前の知見では、大きな災害や事件を経験した人に対して「デブリーフィング」と言って「なるべく早く心の内を語り尽くす」ことが、その先のPTSD(心的外傷後ストレス障害)を防ぐという説が主流であった。おそらくこの頃の知識を元に行われているのだろう。

 ところが実際にはその後、これにはPTSD予防効果がないどころか、逆に状態を悪化させてしまう“副作用”があることがわかってきた。

 今では災害時「心のケア」で最も大切なことは、「無理に心のケアをしようとし過ぎない」になっている、と言っても過言ではない。

 なんとも皮肉な話だ。


 たとえば家族を失う悲しみを経験した人に対して、どんな高名な精神医学者でも、それを一瞬で消すことなどできるはずがない。

 結局のところ、本人がその厳しい現実を受け止め、ゆっくりと悲しむ時間を取り、少しずつそこから立ち直る、という力に期待するしかない。

 その回復力は、たいていの場合、どんな人の心の中にも備わっているはずだ。

 周囲の人ができる最善のサポートは、「そのプロセスの邪魔をしない」こと。心の専門家でなければなおのことだ。


 「してほしくなかった、新たに傷ついたことは?」という質問に対して、「わかったふりの同情の言葉や押し付けがましい言葉を受けたこと」と「心の傷を新たに深めるような精神科医やカウンセラーの対応」という回答の合計が、50%を超えているのだ。  「してほしかったこと」1位は、「とにかくそっとしてほしかった」となっている。

 とにかく余計なことをしないで。ひとりで静かにいさせて。


 そもそも母親達を追い込んだ「心のケア」は、もちろん「被災地のためになにかしたい」善意からの行動だろう。しかし善意は時として「計算づくの行為」よりもやっかいなものになりうる。そのことは心しておきたい。

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