●香山リカ:東日本大震災被災地に見る「心のケア」。
 終末治療に見る「心のケア」。そして「父の死」。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20120213/299004/

 家族や職を失い、仮設住宅などで不自由な暮らしを強いられながら、以前とは似ても似つかぬ姿のふるさとを眺め続ける。――そんな被災者に対し、「さあ、もう震災から1年経つのですから、前を向いて歩き出しましょう!」とは、とても言えない。第一、そんな人たちに対して「効果抜群」の心のケアなど、あるわけもない。


香山リカなる人物を良くは知らないが、テレビで垣間見る限りは、とっても普通のことしか言わない人。という印象である。
 気心の知れた友人との仙台での食事の席で、ついこぼしてしまった。

 「先生、精神科医のできることって何だろう、と考えちゃうんだよね。なんと言うかな、”心のケア”なんて余計なことを考えず、せめて自然な回復力が発揮される邪魔をしないようにする。それが私たちのできることじゃないかな。」
(中略)
 ほら私、1年ちょっと前に父親を失ったでしょう。そのときどう考えてもすでに終末期なのに、高カロリーの点滴を受けたり薬で血圧を上げ下げするのを見て、思わず『もうけっこうです』って言っちゃたんだよね。“退院させます”と申し出て、機械や管をすべて外してもらって、意識のない父を家に連れて帰ってきちゃった。
 父はその後、半日ほどで命を終えたんだけど、その表情は病院のベッドとはまったく違ってどこか満足げだったし、私たち家族も“これで良かったんだよね”といまだに言い続けてる。

 なんというかこの頃、医療のできること、すべきことって『生きる邪魔をしない、死ぬ邪魔をしない』ということなんじゃないかな、って気もするな」
(中略)
 最近、爆発的なベストセラーになっている本に、「大往生したけりゃ医療とかかわるな」(幻冬舎新書)がある。

 著者の中川仁一氏は、老人ホームの付属診療所で働く70代の医師だ。中川氏は多くの高齢者を看取る中で、「もっとも理想的な死に方は、点滴、酸素吸入などの医療行為をいっさい受けない“自然死”だ」と結論づけている。

 中でも発病してからある程度時間がある「がん死」が、「おすすめ」なのだという。
(中略)
 一方「心のケア」に関しては、圧倒的に「まだまだ足りない」「日本は遅れている」という声のほうが強い。

 私もいまだに「アメリカでは精神科にかかるのがステイタスなんでしょう? 日本はまだ抵抗が強くて、困ったものですね」と言われることがある。

 しかし実はこの「ステイタスになる精神科通院」とは、高額な料金を支払って精神分析を受けること。それさえ最近のアメリカでは下火になりつつある。つまり過剰な心のケアのブームは、アメリカでも去りつつあるのである。

 脳の機能障害に由来する精神病などの治療が精神科で必要なのは、当然だ。しかしそうではなくメンタル面の「心のケア」は、そもそも「行えばよい」というわけではない。

 特に東日本大震災のような大災害を受けての「心の傷」、つまりトラウマに対しては、「ケアしすぎ」は効果がないどころか、むしろ悪影響のほうが強い。そのことが、さまざまな事例や研究で明らかにされつつある。

 当事者が「それを望んでいない」場合も、実は多い。

 多くの人の心には、トラウマを乗り越えて行く力が、きちんと備わっているのだ。そこに精神医療やカウンセリングが介入することで、むしろその力が阻害されることもある。

 「心のケア」押し売りが、正常な回復を遅らせる場合がある。あるいは「心のケア」が新たな問題、病を生み出すこともある。

 精神科医としては自己否定になってしまうので言いづらいのだが、私たちはそのことを知っておくべきだ。




ああ、なんか書こうと思ったけど、引用だけで十分だ。

私にも、これから看取らねばならない年寄りが二人が居て、看取る側の私たちも、これから老いて壊れてゆくわけだ。

抗うことは、当たり前の行動かもしれないが、受け入れる心の準備こそが一番必要なのかもしれない。

なんだか、読まなければならない連載がまた始まったようだ。

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