絶対的な正しさを求めるのは、宗教である。
正義を求めるものには、悪が必要となってしまう。

もちろん、宗教のことはめんどくさい。
どんなにおかしな宗教でも、道に迷い、苦しみ、生きる術が見つからない人間にとって、そのおかしな宗教にすがる事で生きてゆけるのであれば、その宗教を否定するのは良いことではない。
だから、信教の自由は保障されるべきだ。と、私も思う。

てなわけで、「なんか変だな~」と思っていても、それを信じている人に、どう声をかければいいのか困ることがある。

たが、「正しさ」にこだわるのは、どうにもこうにも不自由だ。
杓子定規に生きるのも良い事かもしれないが、窮屈そうだし、「この生き方が正しいから、お前も守れ」なんて言われたら、曖昧なほほえみとともに、ご遠慮させていただく。

私は、ただ、逃げているだけなんだろうか?

そんな事を考えている時に、こんな文章に出会った。
◆尾藤誠司の「ヒポクラテスによろしく」
「平成仮面ライダー」に現代医療者像を思う
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/bito/201201/523321.html
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昭和の仮面ライダーは、善悪がキチンとしていた。
平成ライダーは、善悪そのものが混沌とし、ライダー同士が闘ったりする。
それは時代背景を映し出す鏡で、医療従事者にとっても、「絶対的正しさ」というものが失われているのが現代である。

命を預かる医師にとって、この問題を真剣に考えることは、仮面ライダーよりも普通のサラリーマンよりも切実な問題なのだろう。

そして、行き着いたのが、紹介させていただく「新医師宣言」である。

なんだかグッと来るので、少々長いが、無断引用させていただく。

“もはやヒポクラテスではいられない” 21世紀 新医師宣言プロジェクト

私の新医師宣言
http://www.ishisengen.net/

私は、毎日の仕事の中で、あきらめそうになったり、「まあいいか」と妥協しそうになったり、望ましくない誘惑や圧力に流されそうになったり、患者さんに寄り添う心の余裕がなくなりそうになったりすることを否定しません。 そんなときには、私は以下の宣言文に立ち返ります。そして、医師として患者さんや職場の仲間とともに悩みながら、でもへこたれずに歩んでいくことを誓います。

1.
私は、患者さんについてまだわからなければならないことがあるという前提に立ち、患者さんの気持ちや苦しみを想像し、理解する努力をします。 一方、自分の言葉が意図するとおりに、患者さんに伝わらないことも認識し、お互いが分かり合うための工夫を怠りません。

2.
私は、診療方針を患者さんと決める際に、自分の方針を押し付けすぎていないか、逆に、患者さんに選択を丸投げしていないか振り返り、患者さんとともに確認します。

3.
私は、医療行為が常に患者さんを害しうることを忘れません。もし不幸にして患者さんに重い副作用などが発生した際、患者さん本人や家族の悲しみに対し誠実に向き合い続けます。

4.
私は、不適切もしくは過剰な薬の処方や検査が患者さんに行われていないか常に注意を払います。その状況に気付いた時には、患者さんと相談し、よりよい方法をともに考えます。

5.
私は、患者さんの健康の維持や回復、症状の緩和を支援するとともに、患者さんの生命が終わっていく過程にも積極的にかかわります。

6.
私は、どんな状況にあっても患者さんが希望を持つことを最大限尊重します。医療だけでは患者さんの問題を解決できないような状況のときにも、患者さんの相談者でありつづけます。

7.
私は、自らの心に宿る敵は、自己保身、経営優先の効率主義、外部からの利益供与であることを認識します。そして、ときに自らの医学的好奇心すらも患者さんの利益に反する要因となることを心に留めます。

8.
私は、可能なかぎり患者さんの希望を聴いた上で、自分にできることと、できないことを伝えます。時には、施設内外を問わず自分よりうまくできる人に協力を依頼し連携します。

9.
私は、患者さんや職場の同僚に助けられたとき、「ありがとう」と声に出して言います。また、心の折れそうな同僚が身近にいたら「どうしたの?」と声をかけ、話を聴きます。

10.
私は、文献からは医学に関する知識を、先人からは生きた技術を、同僚や他職種の仲間からは臨床の知恵を、後輩からはあきらめかけていた情熱と気づきを、そして患者さんからは、自分が、医師としてどうあり、何をすべきかということについてのすべてを学び続けます

11.
私は、自分の誤りに気付いてくれる人を大切にし、自分への批判に積極的に耳を傾けます。 同時に、同僚や上司の疑問に感じる態度や行為に対しては、それを指摘するようにします。

12.
私は、医療が公共財であり社会的共通資本であるということを前提に、専門職の観点からは理不尽だと感じる要求に対し、目を背けず向き合います。


                   年      月 氏名


この文章の「患者さん」を「恋人」や「家族」「得意先」など、あなたの大切な人に置き換えながら読んで欲しい。

正義のない時代、何を信じて生きてゆくのか。そんな苦悩のあとが見える。

耳の痛い話も多い。


紹介はするけど、私自身もこれを守って生きようと宣言するものではない。
方針としてはいいけど、「ちょっと、しんどい。」とも思う。

それにしても「医療が公共財であり社会的共通資本である」という意識は、すごいなぁ。
普通の仕事も、実はそういう側面を持っているんだけど、医者を志す人は、やっぱりちょっと違うな、と思う。
ま、金儲けだけで医者になってる人がどれほど多いかは語らないこととするが。


そして、こんな文章で終わっています。
 私たち医療者も、この平成ライダーをちょっと見習ってみると良いのではないでしょうか? 自らの正体がばれてもいいじゃない。力が至らなくて凹んでもいいじゃない。一人で何ともならない時はいろんな人に助けてもらってもいいじゃない。楽しい時は笑っても、泣きたいときは泣いてもいいじゃない。「今、その場で、みんなと、考え続ける医療者」が、平成の時代にはしっくりくると私は考えています。

あー、ちゃんと生きようーーー。

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