大事なことが書かれていると思うが、自分の中でこなれてないので、とりあえず、無断転載の備忘録。
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/title3_1.html
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■ 『from 911/USAレポート』第544回
「感情論の時代にどう対処すべきか?」
■ 冷泉彰彦:作家(米国ニュージャージー州在住)
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■ 『from 911/USAレポート』 第544回
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感情論の時代、2011年の日本を一言で総括するならば、そう言うことになるのではと思います。震災直後の自粛、放射性物質の危険性論議、TPPと農業開放の問題、そして大阪の乱と、多くの社会的な現象がどう考えても合理的な思考というよりも、直感的あるいは情緒的な感情論によって形成された世論が大きな力をもった、そんな一年であるように思います。
では、そうした感情論は否定されるべきなのでしょうか? 私はそれは不可能だと思います。いかに非合理な感情で動いた結果であっても、形成された世論を否定していては社会の意志決定は不可能だからです。感情に流された世論を抑えるために、強権を発動すべきだという考えもあるかもしれませんが、その強権の根拠は結局は民意だということを考えると不可能性は明らかです。
一方で、世論の持つ感情の力というのは巨大なものなので、それを受け止めていくしかない、いかに非合理で一貫性に欠けるものであっても、世論が動いたのだからそれに乗るだけだという立場もあります。ですが、世論の結果であっても、政権の行動が具体化してみると、余りにも極端であったり合理性や一貫性を欠くものであれば「目に見える形」となった瞬間に、その判断への支持は弱まり、欠陥が明白であれば、その責任は政権に向けられることになります。
間違っているのは分かっているが、お前らがやりたいというからやったまでだ、という居直りは不可能です。こうした世論の気まぐれにどう対処して行くのかという技術も、現代の政治家には必要な要件となっています。
結果的に間接民主制というのは「世論と現実、実現可能性」のギャップ、そして「過去の世論と現在の世論、未来の世論」のギャップを埋めて行く、その中で、実は実現可能性のある選択肢がどんどん狭まって行く時代の中で、その時々の選択、その時々のコミュニケーションにおいて、どう最善手に近い判断を続けることができるかにかかっているのかもしれません。
では、具体的に「感情論」に対してはどんな対処が必要なのでしょうか?
第一は、感情論が肥大化するときには大きな理由があるということです。感情論がバカバカしく見えたり、非現実的に見えるようになると、とかく軽視しがちですが、例えば今年の震災被害、原発事故に関しては余りにも巨大な事件であり、被災地であろうと、離れたところにいようと、人間の「危険回避本能」を大きく揺さぶったわけです。そこに感情論の原点があることは忘れてはならないと思います。
第二は、感情論を認めることです。目に見えない放射線に恐怖を感じる、農業衰退による生態系やライフスタイルの変更への不安を感じる、年金の減額や増税に不安を抱く・・・こうした反応は人間の生存本能から来ています。自身の生存が脅かされるのではないか、自分が食べている食品がもう供給されなくなるのではないかといった不安は本能的・直感的な反応としてどうしようもない「自然」なものだとして、まず認めるしかないように思うのです。
子育て中の母性が非科学的な感情論を暴走させがちだという批判がありますが、これも次世代の生殖と育成という行為は、ほ乳類特有の本能的な「保護行動」が人間にはデフォルトの行動パターンとして埋め込まれているわけです。まず、それを認めるということからしか、何事も始まらないように思うのです。
第三には、感情論を「正論」で押しつぶさないことです。感情論というのは、多くの場合「不安感情」が理由です。その不安感情を除去できない一方で、その「不安感情が間違っている」という正論を突きつけても、人間の防御本能に基づく直感は解除できないからです。
更にいえば、感情論に対して「正論」をぶつけるということは、不安感情を解除するどころか、「自分たちを一段低い存在として見ている」とか「自分の不安の元凶を改善する方向に敵対してきた」という印象を与える場合もあるわけです。言っている方は「自然放射線以下のレベル」だとか「輸出が下がれば経済が伸び悩む」という「正論」を主張していると更に語気を強めることになるのですが、相手は全く違う観点で見ているのですから議論は喧嘩腰になってしまうわけです。
思えば、感情論は21世紀の社会にはあちらこちらで、政策決定に重要な要素となってきています。それは、20世紀の場合は冷戦というイデオロギー対立があり、その原則から導かれる形での選択肢があったわけです。実はその選択肢自体は、これはこれで決して生産的なものではなかったのですが、むき出しの感情論と実現可能性が衝突する現在とは議論の様相が異なったからです。
震災後の日本だけでなく、財政危機の続く欧州での議論、テロ被災を受けたアメリカの攻撃性、各国での「ネット」によるナショナリズムの拡大、そうした現象ある共通性、同時代性というのはやはり21世紀ならではの現象だと思います。
では、こうした感情論の暴走というのは、危険な兆候なのでしょうか? 暴走した感情論が例えば独裁政権や、他国への侵略政策、あるいは大量殺戮などといった20世紀に繰り返された悲劇、破綻へと発展して行く可能性を警戒しなくてはならないのでしょうか?
私はその可能性は低いし、また余計な警戒をすることは事態を悪化させるだけと考えます。現代の世論が感情に走るのは、例えば19世紀から20世紀の初頭にかけて、ファシズムが発生したり、性悪説を抱えた社会主義が独裁化した時代とは構造が違うように思うのです。例えば、政治経済文化に関する情報の量が違います。また他国に関する、世界全体に関する情報量も違います。その情報の伝播スピードも全く違いますし、価値判断を含む二次情報の流通も質量が違います。
仮に世論が暴走し、一部の政治勢力がそれを暴力的な権力に転化しようとしても、当時のように持続性を持たせることは難しいように思うからです。勿論、ジャーナリズムの貧困、とりわけ感情論に乗っかって一儲けを企むグループは存在しますが、それも世論の全てを引きずり回すことはできないと思います。何よりも、19世紀や20世紀初頭と比べ、社会に流通する二次情報、三次情報が多様化し、価値判断を加える場合も、前提となる価値観が相対化されているという点で、時代背景が決定的に異なるように思うのです。
勿論、現在は理想的な時代ではありません。閉塞感は高いですし、崩壊の予兆のようなものも時代の雰囲気には確実にあります。その一方で、実現可能な政策と、世論の感情の乖離は激しくなっているとも言えるでしょう。ですが、私は、ここまで困難な状況であるにも関わらず、とりあえずヨーロッパも日本も平静であること、その方を評価したいと思います。
その上で、もう少し情報流通の質量スピードを向上することができれば、実現可能な政策論と、判断の根拠となる体系や直感の間を自由に行き来できる言論が可能になれば、社会には希望が出てくるのではないでしょうか。
例えば、中国社会の成熟ということにも、こうした思考方法からアプローチすることで何か道筋が見えてくるように思うのです。軍事的な均衡は当分の間維持することは必要ですが、いつまでもケンカ腰のイデオロギー対立として「民主化」を迫ってみてもどうにもならないと思います。
中国もやがて高齢化と社会の成熟を大変なスピードで経験することになります。繁栄を維持したいという世論の感情と、実現可能な政策の乖離ということでも、急速に問題が深まるのは避けられません。その際に、多様な選択肢を提示しつつ、世論の感情論と、実現可能性の間を粘り強いコミュニケーションで埋めて行く、そのための多党制なり、報道の自発性というのは、イデオロギーではなく、社会の安定を保つためのテクニカルな手法として、統治の基本姿勢として必要になってくるように思います。
そうした道筋を描けるかどうか、来年に予想される政権の世代交代に注目しなくてはなりません。
年の瀬にあたり抽象論めきますが、今年という年はそうした政治の成熟の方向性が問われ始めた年、世論の持つ感情と政策の実現可能性の乖離を社会が意識し始めた年として、位置づけたいように思うのです。
震災と原発事故により、生存することそのものへの不安を抱え込んだ日本、財政破綻に対して実現可能な相互扶助と共同体の維持へ向けて大変な政治プロセスを踏んだ欧州、そのどちらにとっても、経験自体は大変な痛苦であったわけですが、人類のかつて経験しなかったような忍耐と、知的な作業を貫いたのは間違いないように思います。
そう思うと、テロ被災という事件に対する反応として、アフガンとイラクという他国を崩壊させ、膨大な人命を奪い国富を蕩尽した挙げ句に、その記憶を薄れさせつつあるアメリカの現状には何とも言えない空虚感を感じざるを得ません。
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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家(米国ニュージャージー州在住)
1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。
著書に『911 セプテンバーイレブンス』『メジャーリーグの愛され方』『「関係の空気」「場の空気」』『アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』。訳書に『チャター』がある。 またNHKBS『クールジャパン』の準レギュラーを務める。
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