暴力について

2011年11月28日 日常
以前に書いた暴力の定義だが、間違っていると感じた。

「暴力は受けた人間が、暴力だと感じたら、それは暴力だ」

これは、暴力に関する、ひとつのルールでしかない。


人生長く落ち着いた生活をしていると、「自分が暴力をふるえる」という発想を忘れていた。
ボジョレーの飲み過ぎで、凶暴性が表に現れてくると、暴力をふるう側の発想がわかった。

「あいつをこてんぱんにやっつけようと思えばいくらでもやっていいんだ。」


そして、二日酔いの頭ではっきりとわかった。
私が決めた定義は、暴力とは何か?の答えではない。


暴力とは言葉の通り、「強すぎる力」でしかない。


「力」を使う側は、自らの正当性において、「力」を使っているだけだ。
暴力という自覚はない。
自らの正義を貫いているだけだ。
自らの正義を貫いている人間に「暴力」を語っても、普通は聞く耳を持たない。


問題は、暴力は「強すぎる」力であることだ。


力を「強すぎる」と感じるのは誰か?
力を受けた側だ。

暴力という言葉は、力を受けた側のみが発する単語だ。


断固として言うが、暴力はいけない。
何も生みださない。


暴力を防ぐルールとして
「暴力は受けた人間が、暴力だと感じたら、それは暴力だ」
を設定したが、それは、単なる一般社会の常識でしかない。


もうすこし、考える。

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