なぜ悲しいのか考えてみた。
「それが事実かどうか」と
「それが暴力であるか」は
無関係である。
解説するまでもないが、「お前はブスだ」は事実でも嘘でも言葉の暴力でしかない。
「空が汚い」は、事実でも嘘でも暴力ではない。
事実かどうかとは無関係に、暴力は常に暴力だ。
無関係のことを関係あることとしてまで、暴力を擁護する。
その態度の救いのなさが、なぜか、悲しいかったのだろう。
こんな当たり前のことすら気付かなくなってしまっているのが、悲しかったのだ。
「それが事実かどうか」と
「それが暴力であるか」は
無関係である。
解説するまでもないが、「お前はブスだ」は事実でも嘘でも言葉の暴力でしかない。
「空が汚い」は、事実でも嘘でも暴力ではない。
事実かどうかとは無関係に、暴力は常に暴力だ。
無関係のことを関係あることとしてまで、暴力を擁護する。
その態度の救いのなさが、なぜか、悲しいかったのだろう。
こんな当たり前のことすら気付かなくなってしまっているのが、悲しかったのだ。
コメント
そやな。事実だから暴力じゃない、というのはズレてるね。
主体が侵されたら傷つくよね。それは受けた側からは暴力と捉えます。
虐待の現場では主体が侵されることを権利侵害と言います。
で、わたしは、権利侵害されると、自分の内側のいちばん傷つきやすいところがわかります。
まだまだですわ~(^_^;)