dependence

2011年11月12日 日常
依存と依存症は違う。

何が違うか。誰でもわかる。病気か否かだ。

病気は医者しか診断出来ないし、医師免許を持たずに、診断や治療を行うのは違法行為だ。いや、例え医師であったとしても、本人の同意なく治療を行ったら、傷害罪で起訴される。病気の扱いは慎重にしなければならない。
ましてや「依存症」となると精神疾患に属し、医師免許も持たずに「あなたは依存症だ」などと言おうものなら、名誉毀損で訴えられてしかるべきである。

ま、こんな極端な例を力説しても仕方ない。

WHOで依存が定義されて以来、嗜好、嗜癖という言葉が衰退し、依存の言語力が増してきた。

依存。何だかみょうな単語だ。
こういう単語は気をつけた方がいい。
誰かが作って、こなれてない単語だと感じる。

元々の英語を調べる。
「dependence」とでた。「デペンデンス」。
映画「インデペンデンス・デイ」で宇宙人に勝利した米大統領が「今日が私たちのインデペンデンス・デイ(独立記念日)だ!」と叫んでいたのを思い出す。
「インデペンデンス」の頭に付いてるインは、否定形の接頭辞インであり、デペンデンスの逆という成り立ちの単語だ。

日本では、「依存」よりも「独立」の方がメジャーと感じるのではないか。
しかし、英語では、「独立」は「依存の逆」であり、「依存」よりも後に出来た単語だ。そういう常識を英語圏の人間なら口に出すたびに、常に感じているはずだ。
その語感を無理矢理日本語化すれば「独立」は「非依存」である。
英語の語感的には「独立」などという単語はなく「非依存」という単語しかない。

依存の方がメジャー。なんだか納得しにくい。

で、その「依存」の元となる単語「dependence」を調べると、「1. 依存 2. 信頼」とある。信頼と依存は同じ意味だったのだ。英語で依存は決して悪い単語ではない。幼児が親に依存するのは当たり前で、甘い香りのある単語である。恥ずかしくてお父さんの足に掴まりモジモジしている。というのが「depend」の語感だと思う。「甘え」か、いや、「頼る」に近いのではないか?

そう納得し、もう一度、無理矢理日本語化すれば、
「依存と依存症」は、「信頼と信頼症」と訳せる。

「信頼」するばかりでなにもせず、本人や周囲に迷惑をかけるようになると「信頼症」と名付けて病気とする。

うん、これなら納得できる。
何事も、やり過ぎると病気だ。
どこからが「過ぎ」なのかは、かなり難しい問題になるのだろう。

英語の輸入は、かくの如く難しい。
訳語だけで理解するととんでもない感覚の違いを生み出す。



受験の時の遠い記憶ではdependの構成要素pendは、もたれる、だったように思う。
人と人とが持たれあって、人という漢字は出来ている。というのに似ている。

イギリスとの信頼関係が潰れ、傷ついたアメリカは「非信頼戦争」を起こした。
そういう風に翻訳すると祭り上げられている「独立戦争」も捉え方が変わる。
若者が大人になる時、必要な過程だとは思うが、悲しい出来事だと思えてくる。

お互いを信頼し、頼れるところは、頼りにする。
頼られたら、出来る限り期待に応える。
そんな関係を一人でも多くの人と築ける事が、幸せだと思う。




【追記】
書いた後で調べてみると、pendは、ペンダントのpendであり、「ぶら下がる」でした。なんかちょっと、あまりに違うから、本文直すのめんどくさそうのでやめておきます。あー、イイカゲンなオレー。(謝)

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