あちこちに返信するのは面倒だし、
一度、まとめておいてもいいかなとは思っていたので、かなり長くなりそうだけど、私が喫煙に関して思ったこと、やった事、いま考えていることをまとめておく。
たぶん、これまでの日記でも書いた事と重複することも多いと思う。ご容赦願いたい。
私のタバコ歴を概観すると、生まれてから18年吸わず、その後15年吸い、15年前から吸っていない。
一番吸っていたのは、日常的に吸わなくなる前の時期で、一日に1箱半だ。
その1年前までは、2日で1箱が標準だった。
人によるが、1日10本では、ヘビースモーカーとは言えないと思う。
いま考えると、たばこを吸っていたのは、好奇心でしかなかった。
大人が吸っていたから、大人みたいになりたい。というのが最初だ。
最初は小学校5年ぐらいにオヤジのタバコを盗み吸いしてみた。
吸った途端に「クラクラ〜」と来て、「あ、オヤジはタバコと称して麻薬を吸っている。」と思ったものだ。かわいい。
常習的に吸うのは高校生の時だ。
かっこつけたかったというおきまりのものだ。
タバコなんて、美味いと思ったことはなかった。
だから、ミントの粒をタバコに埋め込んで吸っていた。
そんな、「誰も知らない吸い方」を知っている事がカッコイイと思っていた。
だが、高校生は金がない。
常態的なバイトもしていなかった。
お小遣いの範囲で買えるタバコの量は、月に一箱って所だったと思う。
仕事をするようになって、ニコチンと付き合うようになる。
ニコチンとカフェインだ。
最初に働いた会社の師匠が、ドリップコーヒーと「ジョーカー」を欠かさない人だった。
演出家という職業を効果的に見せるためだろう、あまり売られていない「ジョーカー」一辺倒だった。
スリムで長く、茶色いタバコ、名前が「ジョーカー」。
古式ゆかしき「演出家」を自ら演出していたのだろう。タバコとはそういう役割があった。
私は、「SomeTime Lite」だった。軽やかな三角形の背景にSomeTimeという若々しさが好きだった。
バブルがもうすぐ来る時代を象徴している。
結婚し、夢より金になり、舞台より企業イベントの会社へ移る。
やりたい事がやらねばな事になる。
社長の一言で平面の仕事どころか職種まで変わる。
カフェインとニコチンがないと仕事が出来なくなる。
その頃、アメリカで喫煙者は出世できないという情報が入ってくる。
インターネットが世間を変革するなんて情報が入ってきても、世間では「???」と反応すら出来ない頃だ。
まだまだ仕事はワープロだったんだから仕方がない。
パソコンに電話線を繋いでいたのは、会社の中のみならず、仕事仲間であと一人いただけの時代だ。
いまでも仕事で付き合っている人がタバコ嫌いだった。
すべての人に「タバコをやめろ」と言っていた。
それは、「自分が迷惑だから」でしかなかった。
だから、その人の言葉に従うのはいやだった。
だが、アメリカの圧力からか厚生省の考え方か、その頃からタバコのパッケージに小さく、注意書きが入るようになった。
世論は、なんとなく、禁煙へと向かい始めていた。
もちろん、そんな後押しはあった。
世間の雰囲気は、自分の意思に影響を与える。
それは間違いないし、それがイヤだとも思わない。
やめるのなら、止めた方が便利そうだな。という思いもでてきていた。
「大人への憧れ」とか、「カッコイイ」とかが理由なら、「面倒だな」でやめるのは、ありだ。
だけど、私が日常的にたばこを吸わなくなったのは、少し違う思いがあった。
あれは、仕事できる人間達が大量に辞めてへとへとになっていたときのことだ。
会社には数代のパソコンが導入されていた。
パソコンの前に、コーヒーと灰皿とタバコとライターを置く。
手はブラインドなので、モニターだけをひたすら見つめる。
モニターだけを見て、タバコを咥え、珈琲をすする。
珈琲の渋みと煙草のヤニが口の中を支配して気分が悪くなる。
くわえた煙草を灰皿に押しつける。
押しつけるために、ふと、灰皿を見る。
すべての煙草が長い。
先の1cmぐらい吸って、すべて消している。
私は、何をしているんだろう。
一粒の米にも七人の神さまがいる。神は本当には居ないが私たちの口に届くまでに七人以上の人々が大事に大事にお米を育てているんだから、一粒を大事にしなさい。と爺さんが言っていて、その言葉は、大事だなと思って暮らしてきた。
米に七人の神さまが居るなら、煙草にも5人や6人はいるだろう。
私は、この煙草に何をしているのだろう。
煙草がかわいそうだ。
そして、煙草をこんな目に合わさなきゃ出来ない仕事って、本当に正しいのだろうか?
すくなくとも、こんな進め方でするのは、正しくない。
それ以来、仕事のやり方を変えた。
出来ないものは出来ないと言うようにした。
そして、「本当にうまい煙草しか吸わない」と決めた。
ニコチンが切れて、次のニコチンを摂取したいから吸う煙草とか、食後に広がる血管を無理矢理収縮させて気持ちよるなるための薬物としての煙草とか、ダウナー系の薬物アルコールにより、ダウンさせた神経をアッパー系の薬物ニコチンで闘わせて、より危険な状態にさせて楽しむ喫煙とか、そんな煙草は吸わない。
「煙草」が「煙草」として純粋に楽しめる状況でなければ吸わないと決めた。
いざ、決めてみると、本当に煙草を吸いたい状況はほとんどなかった。
以来、15年間、吸った煙草は、多分、5本程度だろう。
しかも、最初の10年間は、たぶん、一本も吸ってない。
その10年は、禁煙ブームへの10年間だった。
煙草のパッケージに書かれる文章は徐々に大きくなり、
テレビCMがなくなり、
雑誌の宣伝もなくなり、
煙草の価格はどんどんと上がり続けてきた。
最初に吸ったのは、「DEATH」という煙草を発見したときだった。
会社はやめて、自分一人で仕事をし、法人化をし、特に営業もせず仕事が続いていた。
世間の喫煙者への風当たりは相当に強くなっていた。
喫煙するなんて信じられない。
副流煙で私の健康まで奪っているのよ。
まるで、喫煙者なんて死んでしまえばいいんだ。と言わんばかりだ。
もちろん、喫煙者が死んで良いなんて、暴言だと思う。
だけど、暴言だというと石が飛んできそうな勢いだ。
なんだか、やな時代だなと、感じ始めていた。
そんな時代に「DEATH」という煙草に出会った。
真っ黒なパッケージ。
白いドクロマークに「DEATH」の文字。
「健康のため吸い過ぎに注意しましょう」の時代に堂々と「死」という名前。
この時代に、この反骨精神。たまらない。
ひさしぶりに「大人」を感じた。
誰がどういおうと、やりたい事はやる。そんな意思とひねくれた精神が魂を打ち抜いた。
それが一本目。
残念ながら、「DEATH」は、そのネーミングにそぐわず、普通の煙草だった。
缶PEACEのようなキツイ味を期待していたのに、マイルドセブンのような普通の煙草。
ちぇっ、と思って、残りの煙草は吸わず、賞味期限が切れて、捨てた。
DEATHには、神は宿っていなかったようだ。
(七人の神さまごめんなさい。これはいいわけです〜)
葉巻に手を出したことがあった。
葉巻は15年ぐらい吸い続けないと様にならない。
所作がいろいろあるから、すべての動作がこなれるまで15年ぐらいかかる。
という話を聞いた。
35歳ぐらいで始めて、50ぐらいでかっこいいのか。と思った。
葉巻はふかすだけで肺には入れない。香りを楽しむだけ。
これこそが、「煙草を楽しむ」ではないのか。これはいい!と一式をそろえた。
葉巻用の灰皿。葉巻は放って置いたら消える。長い灰皿が要る。
葉巻カッター。吸い口を切るハサミのようなもの。
葉巻用マッチ。葉巻は火が付くのに時間がかかるから普通のマッチでは足りない。
趣味で吸うんだからライターではなく、マッチに挑戦したい。かっこよさそうだ。
葉巻ケース。大切な一本のために、湿気ないよう、香りが飛ばないようにケースが必要だ。
そして、少し高めの葉巻を一本買った。
うまいのかまずいのかよくわからない。
香りは確かに良い。
だが、部屋があまりに臭くなった。
その日は良いのだが、次の日、葉巻を吸った部屋に入ると、部屋中に匂いが染みついて、居られない。
これは、ダメだ。
葉巻部屋を確保しないと葉巻は吸えない。
わが家に葉巻部屋なんてない、だから、葉巻はヤメだ。
そのご、パッケージが楽しそうなのを見つけては、
気分の良い日曜日などに1本火をつけてみるが、
たいてい、美味くない。
煙草なんて、もともと、美味くないものなのかもしれない。
依存症というのは、「自分に何か欠けている」から依存する必要があるのかもしれない。
私には、少なくとも、ニコチンに依存する理由がないのかもしれない。
酒は好きだし、ゲームも好きだ。家族にも依存していると思う。
たくさんの依存はあるだろうけど、ニコチンは、あまり必要ないのかもしれない。
代償行為を欲するときに、「煙草」とは思わない。
たぶん、バイクでかっ飛ばすとかそっちの方面だと思う。
「煙草」は大人への憧れや、かっこよさへのあこがれでしかない。
この間、「SevenStars Cutting Menthol」という煙草を発見した。
超スリムな煙草なので、20本入りなのにパッケージが薄い。
ラッキーストライクを思わせるどでかい星が真ん中にひとつ。
なんだか、かっこいいので、吸った。
懐かしかった。
高校生の頃、セブンスターにメンソールの粒を突っ込んで、ライターで溶かし、「セブンスターメンソール」という当時発売されていない煙草を作って楽しんでいた頃を思い出した。
天王寺の路地裏を下った所にある「マントヒヒ」という汚いジャズ喫茶を思い出した。そこで読んだ「がんばれタブチ君」を思い出した。
無性に、この煙草が好きになった。
大人への憧れと言うが、大人って言うのは、若い頃への憧憬を持つ人の事なのかもしれない。
次の日、無性にこの煙草が、また、吸いたくなった。
体が欲しているのか、心が欲しているのか、
薬物が欲しているのか。
かなり危険なところに、自分自身を置いて、抑制を楽しんでいる。
抑制がはち切れるとき、バイクを走らせるのだろう。
一度、まとめておいてもいいかなとは思っていたので、かなり長くなりそうだけど、私が喫煙に関して思ったこと、やった事、いま考えていることをまとめておく。
たぶん、これまでの日記でも書いた事と重複することも多いと思う。ご容赦願いたい。
私のタバコ歴を概観すると、生まれてから18年吸わず、その後15年吸い、15年前から吸っていない。
一番吸っていたのは、日常的に吸わなくなる前の時期で、一日に1箱半だ。
その1年前までは、2日で1箱が標準だった。
人によるが、1日10本では、ヘビースモーカーとは言えないと思う。
いま考えると、たばこを吸っていたのは、好奇心でしかなかった。
大人が吸っていたから、大人みたいになりたい。というのが最初だ。
最初は小学校5年ぐらいにオヤジのタバコを盗み吸いしてみた。
吸った途端に「クラクラ〜」と来て、「あ、オヤジはタバコと称して麻薬を吸っている。」と思ったものだ。かわいい。
常習的に吸うのは高校生の時だ。
かっこつけたかったというおきまりのものだ。
タバコなんて、美味いと思ったことはなかった。
だから、ミントの粒をタバコに埋め込んで吸っていた。
そんな、「誰も知らない吸い方」を知っている事がカッコイイと思っていた。
だが、高校生は金がない。
常態的なバイトもしていなかった。
お小遣いの範囲で買えるタバコの量は、月に一箱って所だったと思う。
仕事をするようになって、ニコチンと付き合うようになる。
ニコチンとカフェインだ。
最初に働いた会社の師匠が、ドリップコーヒーと「ジョーカー」を欠かさない人だった。
演出家という職業を効果的に見せるためだろう、あまり売られていない「ジョーカー」一辺倒だった。
スリムで長く、茶色いタバコ、名前が「ジョーカー」。
古式ゆかしき「演出家」を自ら演出していたのだろう。タバコとはそういう役割があった。
私は、「SomeTime Lite」だった。軽やかな三角形の背景にSomeTimeという若々しさが好きだった。
バブルがもうすぐ来る時代を象徴している。
結婚し、夢より金になり、舞台より企業イベントの会社へ移る。
やりたい事がやらねばな事になる。
社長の一言で平面の仕事どころか職種まで変わる。
カフェインとニコチンがないと仕事が出来なくなる。
その頃、アメリカで喫煙者は出世できないという情報が入ってくる。
インターネットが世間を変革するなんて情報が入ってきても、世間では「???」と反応すら出来ない頃だ。
まだまだ仕事はワープロだったんだから仕方がない。
パソコンに電話線を繋いでいたのは、会社の中のみならず、仕事仲間であと一人いただけの時代だ。
いまでも仕事で付き合っている人がタバコ嫌いだった。
すべての人に「タバコをやめろ」と言っていた。
それは、「自分が迷惑だから」でしかなかった。
だから、その人の言葉に従うのはいやだった。
だが、アメリカの圧力からか厚生省の考え方か、その頃からタバコのパッケージに小さく、注意書きが入るようになった。
世論は、なんとなく、禁煙へと向かい始めていた。
もちろん、そんな後押しはあった。
世間の雰囲気は、自分の意思に影響を与える。
それは間違いないし、それがイヤだとも思わない。
やめるのなら、止めた方が便利そうだな。という思いもでてきていた。
「大人への憧れ」とか、「カッコイイ」とかが理由なら、「面倒だな」でやめるのは、ありだ。
だけど、私が日常的にたばこを吸わなくなったのは、少し違う思いがあった。
あれは、仕事できる人間達が大量に辞めてへとへとになっていたときのことだ。
会社には数代のパソコンが導入されていた。
パソコンの前に、コーヒーと灰皿とタバコとライターを置く。
手はブラインドなので、モニターだけをひたすら見つめる。
モニターだけを見て、タバコを咥え、珈琲をすする。
珈琲の渋みと煙草のヤニが口の中を支配して気分が悪くなる。
くわえた煙草を灰皿に押しつける。
押しつけるために、ふと、灰皿を見る。
すべての煙草が長い。
先の1cmぐらい吸って、すべて消している。
私は、何をしているんだろう。
一粒の米にも七人の神さまがいる。神は本当には居ないが私たちの口に届くまでに七人以上の人々が大事に大事にお米を育てているんだから、一粒を大事にしなさい。と爺さんが言っていて、その言葉は、大事だなと思って暮らしてきた。
米に七人の神さまが居るなら、煙草にも5人や6人はいるだろう。
私は、この煙草に何をしているのだろう。
煙草がかわいそうだ。
そして、煙草をこんな目に合わさなきゃ出来ない仕事って、本当に正しいのだろうか?
すくなくとも、こんな進め方でするのは、正しくない。
それ以来、仕事のやり方を変えた。
出来ないものは出来ないと言うようにした。
そして、「本当にうまい煙草しか吸わない」と決めた。
ニコチンが切れて、次のニコチンを摂取したいから吸う煙草とか、食後に広がる血管を無理矢理収縮させて気持ちよるなるための薬物としての煙草とか、ダウナー系の薬物アルコールにより、ダウンさせた神経をアッパー系の薬物ニコチンで闘わせて、より危険な状態にさせて楽しむ喫煙とか、そんな煙草は吸わない。
「煙草」が「煙草」として純粋に楽しめる状況でなければ吸わないと決めた。
いざ、決めてみると、本当に煙草を吸いたい状況はほとんどなかった。
以来、15年間、吸った煙草は、多分、5本程度だろう。
しかも、最初の10年間は、たぶん、一本も吸ってない。
その10年は、禁煙ブームへの10年間だった。
煙草のパッケージに書かれる文章は徐々に大きくなり、
テレビCMがなくなり、
雑誌の宣伝もなくなり、
煙草の価格はどんどんと上がり続けてきた。
最初に吸ったのは、「DEATH」という煙草を発見したときだった。
会社はやめて、自分一人で仕事をし、法人化をし、特に営業もせず仕事が続いていた。
世間の喫煙者への風当たりは相当に強くなっていた。
喫煙するなんて信じられない。
副流煙で私の健康まで奪っているのよ。
まるで、喫煙者なんて死んでしまえばいいんだ。と言わんばかりだ。
もちろん、喫煙者が死んで良いなんて、暴言だと思う。
だけど、暴言だというと石が飛んできそうな勢いだ。
なんだか、やな時代だなと、感じ始めていた。
そんな時代に「DEATH」という煙草に出会った。
真っ黒なパッケージ。
白いドクロマークに「DEATH」の文字。
「健康のため吸い過ぎに注意しましょう」の時代に堂々と「死」という名前。
この時代に、この反骨精神。たまらない。
ひさしぶりに「大人」を感じた。
誰がどういおうと、やりたい事はやる。そんな意思とひねくれた精神が魂を打ち抜いた。
それが一本目。
残念ながら、「DEATH」は、そのネーミングにそぐわず、普通の煙草だった。
缶PEACEのようなキツイ味を期待していたのに、マイルドセブンのような普通の煙草。
ちぇっ、と思って、残りの煙草は吸わず、賞味期限が切れて、捨てた。
DEATHには、神は宿っていなかったようだ。
(七人の神さまごめんなさい。これはいいわけです〜)
葉巻に手を出したことがあった。
葉巻は15年ぐらい吸い続けないと様にならない。
所作がいろいろあるから、すべての動作がこなれるまで15年ぐらいかかる。
という話を聞いた。
35歳ぐらいで始めて、50ぐらいでかっこいいのか。と思った。
葉巻はふかすだけで肺には入れない。香りを楽しむだけ。
これこそが、「煙草を楽しむ」ではないのか。これはいい!と一式をそろえた。
葉巻用の灰皿。葉巻は放って置いたら消える。長い灰皿が要る。
葉巻カッター。吸い口を切るハサミのようなもの。
葉巻用マッチ。葉巻は火が付くのに時間がかかるから普通のマッチでは足りない。
趣味で吸うんだからライターではなく、マッチに挑戦したい。かっこよさそうだ。
葉巻ケース。大切な一本のために、湿気ないよう、香りが飛ばないようにケースが必要だ。
そして、少し高めの葉巻を一本買った。
うまいのかまずいのかよくわからない。
香りは確かに良い。
だが、部屋があまりに臭くなった。
その日は良いのだが、次の日、葉巻を吸った部屋に入ると、部屋中に匂いが染みついて、居られない。
これは、ダメだ。
葉巻部屋を確保しないと葉巻は吸えない。
わが家に葉巻部屋なんてない、だから、葉巻はヤメだ。
そのご、パッケージが楽しそうなのを見つけては、
気分の良い日曜日などに1本火をつけてみるが、
たいてい、美味くない。
煙草なんて、もともと、美味くないものなのかもしれない。
依存症というのは、「自分に何か欠けている」から依存する必要があるのかもしれない。
私には、少なくとも、ニコチンに依存する理由がないのかもしれない。
酒は好きだし、ゲームも好きだ。家族にも依存していると思う。
たくさんの依存はあるだろうけど、ニコチンは、あまり必要ないのかもしれない。
代償行為を欲するときに、「煙草」とは思わない。
たぶん、バイクでかっ飛ばすとかそっちの方面だと思う。
「煙草」は大人への憧れや、かっこよさへのあこがれでしかない。
この間、「SevenStars Cutting Menthol」という煙草を発見した。
超スリムな煙草なので、20本入りなのにパッケージが薄い。
ラッキーストライクを思わせるどでかい星が真ん中にひとつ。
なんだか、かっこいいので、吸った。
懐かしかった。
高校生の頃、セブンスターにメンソールの粒を突っ込んで、ライターで溶かし、「セブンスターメンソール」という当時発売されていない煙草を作って楽しんでいた頃を思い出した。
天王寺の路地裏を下った所にある「マントヒヒ」という汚いジャズ喫茶を思い出した。そこで読んだ「がんばれタブチ君」を思い出した。
無性に、この煙草が好きになった。
大人への憧れと言うが、大人って言うのは、若い頃への憧憬を持つ人の事なのかもしれない。
次の日、無性にこの煙草が、また、吸いたくなった。
体が欲しているのか、心が欲しているのか、
薬物が欲しているのか。
かなり危険なところに、自分自身を置いて、抑制を楽しんでいる。
抑制がはち切れるとき、バイクを走らせるのだろう。
コメント
ヘマやって凹んでたり、いびられてたりするとき、
「タバコ、買うてきてー」と、外へ逃がしてくださったことが懐かしいです。
あの頃は、シャイだったので、誰にも何も頼まずに一人で生きて行こうとしていたように思うので、タバコを買いに行かせるなんて…。
ま、あの会社は、特殊だったからなぁ。
いつまでも、しつこいいびりがうるさくて仕事にならない。ってあったかもしれない。
ふふ、記憶って、こうやって、改竄されるのかもー。