添え木と子育て

2011年10月30日 日常
屋上のシマトネリコがいまいち育ちが悪い。
シマトネリコの育て方を何度も読みながら育てているが、本来のシマトネリコならもっと活発に動くはずだ。
育ってはいるのだが、葉が丸まったりする。
害虫か?根詰まりか?水が多いのか少ないのか?とふた夏あれこれと試したが変化はない。
一進一退。
ふと、屋上緑化で調べてみると、屋上という環境そのものの特性が地上と異なる事が分かった。風が強いため、乾燥しやすく、枝も痛みやすい。添え木が有効らしい。

添え木には疑問があった。
街路樹などで添え木はよく見るが、本来、野山で自生している時には、添え木なんてなくて当たり前なんだから、添え木なんて甘えた事をしても、強い子に育たないんじゃないか?
そんな風に考えていた。

添え木をしてみた。

シマトネリコはいきなり芽を吹き始めた。
どうやら私のスパルタな考え方は間違っていたようだ。

環境がきつすぎると、子供は育てないのかもしれない。

親は子供に、何をしてあげればいいのかと、思い、悩み、試し、外す。
でも、本当に必要なのは、添え木なのかもしれない。
いつでも、そこにあり、強い風がきたらもたれられ、普段は、少し邪魔で、無意味なんだけど、そこにあり続ける。

いつでも、常にそこにあるという安心感。
親の仕事なんて、それさえ与えられれば、100点満点をあげてもいいのかもしれない。

子供は勝手に学び、勝手に工夫し、勝手に育つ。
子供が勝手に失敗した時、いつもと変わらぬ日常が、それでも、いつもと同じように回っている。それは大きな安心感を産む。あまりに変わらなさすぎる日常に腹を立てるかもしれない。でも、腹立ちが収まっても、そこにある。ただ、あり続ける。

子供は独立し、自立してこそ完成形だ。
親があれこれと助けていっても、良いことはそれほどない。
あり続ける日常が嫌になった時、子供は巣立つことだろう。
なにより、ほおっておいても、添え木はやがて朽ちる。
朽ちれば子供も巣立つしかない。

子供を成人させ、振り返る事ができる今、いろいろやってはみたが、結局子育ての極意は、添え木程度の事なのかもなぁと考えた。


添え木でいいのであれば、私の親も最期まで私達を見捨てず、そこに居続けた。
少し細すぎたかもしれないが。
どんな添え木も、強すぎる風には折れるものだ。赦そう。



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