浜岡原発停止

2011年5月11日 日常
世間の声は「管の人気取り」と「人気取りでも良くやった」に二分されてるようだ。

この決定、かなり政治的な匂いがする。

浜岡を止めると中電で電気が足りなくなり、東電への送電が止まる。
それでは首都の一大事なので関電が中電に送電し、玉突きで東電に送る。
50/60の変圧器は中電所有だからだ。

ご存知の通り、関西は意識が低い。
停電などしないし放射能も降って来ない。
完全に他人事だ。

浜岡を止める事で当事者になる。

何か「意図」を感じてしまう。

東電の保証分担金。
関電などは協力を拒んでいる。
分担すれば、電気料金を上げる事になる。
関西人が黙っているはずがない。

この辺のコンセンサス作りに、浜岡の停止が役に立つ。
関西でも夏の節電呼びかけがおおっぴらにできるだろう。
暑い夏で苦しめれば、原発反対論も下火になるだろう。
電気代が上がると言えば、火力はやだなとなるだろう。
喉元過ぎればなんとやら、美浜に火を入れる日が早まるだろう。

浜岡原発停止は原発依存からの脱却でもなんでもない。
高度に政治的な判断ではないかと感じた。


そもそも、
国民は、
真剣に、
原発から脱却したいのか?

電気料金が上がってもやるのか?
10年も20年も時間をかけて
次世代発電の開発費に税金を投入する覚悟はあるのか?

やれば出来ると思う。
真剣に舵を切り、10年と数十兆円を投じれば、なんらかの成果は上がり、20年後には商業化出来るだろう。

それを真剣に選ぶのか?
5年もたたぬうちに忘れてしまうのではないか?

そんな国民性も見透かされた「浜岡停止」だと感じた。




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