原子力のことを考えると、一番イカンのは、のけ者にしているって事じゃないかと感じる。

原子力は嫌われ者。
原子力を研究すると国から補助が出る。
より原子力研究者は嫌われ者になる。

現代の被差別階級?
かなり複雑な仕組みを抱え込んでいるけれど、国民全員がその利益を享受しているにもかかわらず、あんなものは、どっか行っとけ。って態度で接している。

江戸時代の被差別部落とかわりない。
屠畜という仕事も皮革製品も墓守も全部必要な仕事なのに、忌み嫌って人任せにしている。
原子力に関しても江戸時代と変わらないことを私たちはしていないか?

のけ者にされた原子力関係者は、仕方なく村の中でこぢんまりとまとまる。
集まった物だけの技術でなんとかやりくりしようとする。

原子力の専門家に、水漏れまで任せるのは畑違いではないか?
おむつ突っ込んだり、新聞紙突っ込んだり、バスクリン流し込んだり、シロウトの対応じゃないか。
こんなことなら、クラシアンの方がよっぽど技術を持ってるはずだ。

事故の発端も非常用発電装置が津波で持って行かれたなんていう、原子力の専門家とは全然関係ないことが原因だ。
一般工場の安全管理委員会とかの方が、技術の蓄積があるはずだ。

今回かなり原子力の基礎技術を勉強した。
わかってみれば、たいした技術じゃない。
もっとオープンに危険への対処法をみんなが議論するべきだと思う。
建築の専門家や河川土木建築の専門家、自然環境保全の専門家などが、
「原子力反対」と言うのではなく、「原子力をどう使う」という視点で意見交換するべきだ。
原子力研究家に任せっきりにすること。これが一番良くないと思う。


報道は視聴率しか考えていない。
国民は怪談話しか望んでいない。
「怖い物見たさ」でしか原発関連ニュースを期待していない。
だから「隠しているんじゃないか」とか「最悪はこうなる」みたいなセンセーショナルな報道のウケが良い。

そんな報道は、結果、「原子力はキライ、どっかいけ」という風潮を促進する。
そして、のけ者にされた原子力村の人々は、またひとり、新聞紙を詰めて暮らす。

それじゃだめだ。
流れ出る放射能は、全世界の放射線総量を増やしてしまう。人類共通の問題だ。
原子力村の人々曰わくの「自然界に元々存在する放射能」の量を増やしてしまうのだ。
元々存在する放射能という基準値自体が増えてしまったら、基準値自体が変更されたら、何を根拠にすればよいのだ。

日本中の技術者が「彼岸の見物」と考えず、持てる総力を使って放射性物質の流出を食い止める。
そんな態度が今一番必要だと思う。

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