全国で伊達直人さんが活躍している。

ま、悪い事では無いとは思う。
でも、相手の事を思った行為でないのも確かだ。

「ねぇねぇ、うちには伊達直人さんは来ないの?」と言ってる児童養護施設の子供の心はどんな気持ちだろう。

また、例のごとく、ランドセルシーズンが過ぎると一過性のブームは終わってしまのだろう。

支援はブームで終わらせるものではなく、継続的に行うものではないだろうか?
いっときのブームで十万円使うよりも、月々500円のサポートを20年続ける方が「支援」なのではないかと思う。

もちろん、タイムリーにランドセルをいただいてありがとうと思っているケースの方が多いとは思うが、小学一年生がいない施設もあるだろう。豊かなくらしの誕生日プレゼントであれば、不要なプレゼントも嬉しいかもしれないが、必要ないランドセルを何十個ももらっても保管場所代がかかるだけではないか?なんでもかんでもプレゼントすればいいというものでもないと思う。相手の事を親身に理解できないのであれば、やはりここは現金がベストだと思う。

もちろん、全国の伊達直人さんに悪人は居ないだろう。
本当に親切な気持ちで行動しているんだと思う。

でも、「伊達直人は、孤児だから児童福祉施設にする」なんて理屈は愉快犯ならぬ「愉快寄付」ではないのだろうか?

本当に児童福祉施設に寄付がしたいのだろうか?
現状、児童福祉施設に「孤児」はほとんど居ないそうだ。
実際問題、児童福祉施設は児童福祉法に従って運営されているんだから、寄付は政府にするのが筋だし、政府が運営しているんだから、児童福祉法のない伊達直人の時代では考えられないぐらい、日の当たる運営がなされているはずである。

本来、寄付は何の手当もされていない、日の当たらない場所に行うべきじゃないだろうか?
子育てに困窮している若いシングルマザーや家庭内暴力から逃れる施設など法が未整備の分野にこそ、寄付が必要だ。


でも、自分自身がそんなボランティアを行うほどヒマじゃない。
寄付の受け皿となる組織がキチンとしていればいいんだが、アヤシイ団体も雨後の竹の子だ。
共同募金は社会福祉協議会なんて頭の堅い親爺集団にいいようにされている。
赤十字はなんだか巨大でよくわかんない。
善意が中抜きされる事に不安で仕方ないのはよくわかる。
一番正しく活動しているNPOに寄付すればいいのだが、それを調べるのが大変だ。

寄付は本当にむずかしい。


さて、全国の伊達直人さん達は、もちろん善意の人たちなのだが、
ここまでいろいろに考えた末に取った寄付行動だろうか?

そんなはずはない。

結局、自分をいい人にしたい。という気持ちではないだろうか。
疲れ切った自分に「自分はいい人」というご褒美をあげたいのではないだろうか?
誰もほめてくれない世の中で、せめて自分自身が自分を「良い事をした」と褒めてあげて、癒やされているのではないだろうか。

もし、寄付にそんな効果があるのなら、もっと有効利用するべきだ。
それをもっと現場で有効に使えるようにする「全国伊達直人の会」みたいな組織があれば、善意を効率的に分配できるはずだ。

でも、それって結局、あやしいNPOでしかないよね。ううむ。

漠然とした善意と的確な支援の間には深くて暗い溝が横たわっている。
誰でも渡れる公平な橋がかかれば、すてきな事なんだけどなぁ。

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