よく考えよう

2010年1月25日 日常
めんどくさいけど、一度真剣に考えてみる。


マイペディア
のろい【呪】相手に禍害を及ぼすことを思念してなされる呪術的行為。呪詛(じゅそ)ともいう。効験は行為者または言葉(呪文)の神秘的な力によるが、神霊が招換されることもある。古今東西を問わず存在する。日本でも古くから行われ、密教の仇敵折伏(きゅうてきしゃくぶく)の法、丑の時(うしのとき)参りなどがあった。


広辞苑〈第五版〉
のろ・う【詛う・呪う】(ノロフ)《他五》①怨みのある人に禍があるようにと神仏に祈る。伊勢物語「かの男は天の逆手を打ちてなん―・ひ居るなる」②一般に、憎く思う者がよい運命をたどらないようにと念じる。「人を―・う」③激しく恨み、悪く言う。「運命を―・う」


新明解国語辞典〈第四版〉
のろ・う【〈呪う】(他五)①恨みのある人に悪いことが起こるように、神仏に祈る。②強く恨む。「世を―」[表記]「詛う」とも書く。


「呪い」についてまとめると
①Aの意思には、Bをおとしめたい気持ちがある。
②Bが「自分は呪われている」と知ると、恐怖感が生じる。
③トンデモ理論を除けば、呪いに実効性はない。

上記を踏まえ、呪いが盛んだった当時、呪いにどういう社会的効果があったかを想像してみる。
呪詛者Aは、面と向かっては反論できない(うしろめたい?)理由により
被呪詛者Bに困らされているが、社会慣習上、適切な表現方法がないため
「呪い」という行為を行う。
行動を起こすことにより、(噂などの)第三者を通じて、Bもしくは関係者に自分の思いが伝わることが期待される。
Bまたは関係者は、「AはBを恨んでいる」と知る事で、Bの反省、もしくは、Aの説得・攻撃などの対応を行う。
古代・中世に於いては、そう言う形で、それなりの社会的必要性はあったのだろうと想像できる。

さて、現代に於いて『Aの呪い』という言葉が提示されたとする。
その表現と効果について考えよう。
まず、考えるのは「呪いの対象は誰か?」である。
もちろん「自分ではないだろうな」を含む。
つまり、まず「恐怖感」を読者に植え付ける効果がある。

では、Aが生きていなければどうだろう?
『死者の呪い』という言葉が提示された場合の表現と効果だ。
Aは生きていなければ、呪えないので、そもそも、非現実的なトンデモ話である。
呪い効果をBに伝えることも出来ないので、トンデモ理論を除けば無意味である。

しかしながら、その言葉を見た人間が考えることは何だろう?
対象者Bは誰だろう?Aは死んでいるのでわからない。
もし、Aが生きていれば、呪いを受けた人間は、Aを諭す、殺すなどの現実的な対処法がある。しかしながら、死者が相手だと、現実的な対処方法が無い。

Aが見ず知らずの他人であれば、なんら影響はない。
しかしながら、日本人なら誰もが知っている歴史上の有名人であればどうだろう。
自分にも、なんらかの影響があるかもしれないと疑念が頭をもたげる。

この時点で、「自分は、対処法のない災いを受けるかもしれない」という特殊な感情状態を与える効果がある。

もちろん、これが、たま出版や稲川淳二のように、「ウソを楽しむ」事が前提のものであれば、タイトルから作品が始まっているわけであり、導入効果として非常に楽しそうである。

しかしながら、これが、まじめな評論本だと筆者が称している場合はどうだろう。

読者に恐怖心を植え付けてから、持論を展開する評論家なんて、ロクなもんじゃない。

なぜ、そのようなタイトルをつけるのか?
それは、タイトル時点で、「こんなことを信じるバカを騙すために書きますよ」と断りを入れているのである。
もちろん、自らの保身のために。
「うそですよー」と最初に断りを入れているのである。

タイトルは、作品の顔であり、内容全てを凝縮したものだ。

作品は、すでに、タイトルから始まっている。

タイトルを読むだけで、「読まなくて良いトンデモ本」かどうかは、わかるのである。

読者を馬鹿にしながら、上手に騙してでも自陣に引き込もうとする筆者は、いったい何を画策しているのか。
そんな事を知ろうとするより、こんな筆者とはつきあわない方が賢明である。
ネットワークビジネスの勧誘のようなものだ。

ま、社会的に黙殺されているので、私が力説する必要はどこにもないのではあるが(笑)

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