なんだか鉢植えが増えてきていて、
いや-、一体私はどうしてしまったんだろう?なんて思っていたら
私と同年齢のいとうせいこう氏もやはり鉢植えにはまっていて、
ガーデナーならぬベランダーなんて単語を作って鉢植えを愉しんでいるそうです。
園芸熱が嵩じてPlantedなんて雑誌まで発刊する始末。

へぇ~、いとうせいこうがはまっているなら、
私がはまっていてもいいのかもなぁー。
なんて氏の著作を買い漁ると、彼の園芸熱のきっかけはこの本だったとのこと。

著名な子ども向け小説「長い長いお医者さんの話」や
ロボットという言葉を最初に作った「R.U.R」なんかで有名な
チェコの作家、カレル・チャペック先生の書籍です。

軽妙な文体で読みやすく、
園芸熱に浮かされる園芸家(自身をも含む)を
シニカルに笑い飛ばしながら、愛情あふれる文体で描き出していて、
「あー、こんな文体、忘れてるなー」なんて感じました。

結局、園芸家なんてのんびりした風な人間も、
とどのつまりはゲーマーと同じような種族で、
一つのことに熱中し、没頭し、他のことが見えなくなるあたりは
どうしようもない人間の性でもあり、ほほえましい限りです。

人間の本質っていうのは、こういう
無駄なものでも、どこまでも熱中してしまうって所にあるのかもしれません。
人間の価値ってそんなようなもので決まっているようにも思えます。

そう言う意味では、
受験勉強だって、同じようなものじゃないでしょうか。

どこが違うかっていうと、好きではじめたか、言われてはじめたかの違いぐらい。
本質的には変わりません。

いかにそのものに相対して、全身全霊を掛けて取り組むか。
そういう人間行為の本質は、同質のものです。

言われてはじめたからと言って蔑むものでも偉いことでもありません。

ただ、自分がやると決めた事をきちんとやりきるかどうかが尊いのです。

だから、受験勉強なんて無駄。と頭から決めつけることには抵抗があります。

全身全霊をかけて熱中することは、何だって良いと思います。
女の子を口説くことだって、
ゲームだって、
園芸だって受験勉強だってかまいません。
ギャンブルですら、とことん真剣に研究し尽くせば尊いものになり得るのかもしれません。

テーガクレキだコーガクレキだと騒ぐ連中は、
そういう本質的な人間の尊さを見失っていて、
「自分の欺瞞を他人にぶつけているだけ」ってのが多いんじゃないでしょうか?
持ち上げてる場合も蔑んでいる場合も、同質でしょう。

やり遂げた人間には、やり遂げた自信しかありません。

私の2番目の師匠は、学歴コンプレックスだけで社長業をやり通した人間でした。
「おまえ大学出てるのに、こんな事もわからんのか」が口癖でした。

学歴コンプレックスがない自分は、あのバイタリティを得る可能性を失ったのかもしれない。とも言えますよね。

たしかに、受験勉強なんて、しょーもないものです。

でも、しょーもないものを無駄と知っていても真剣にやり遂げる人間をしょーもないというのは、間違っていんだろうなぁ。とは思います。


そして、「やり遂げたもの何なのか」って事には、実はあまり意味はないとも思うんです。
マッチ棒集めでも、アウトドア般若心経でも、学術論文でも、エロ詩吟でも
真剣にやり遂げれば、それは尊いことだと思います。

やりたかったかどうかも問題じゃないでしょう。
みうらじゅん氏は「自分が一番興味のないことをテーマにする」と断言しています。
それでも、やっぱりありゃすごい。

人生は壮大な暇つぶし。あの言葉もすごい。

話が長くなりました。

今日も植木鉢を見つめながら、根っこの周りの土の状態を思い描いています。

本当に大事なことは、花が咲いているって事じゃないんです。

  

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

日記内を検索