JMMから無断転載
                             2008年11月16日発行
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JMM [Japan Mail Media]          No.505 Extra-Edition3
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  ■ 特別寄稿「田母神論文問題ーー浮き彫りになる政治とメディアの危機」

   □ 水牛健太郎   :評論家、会社員



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 ■ 特別寄稿
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「田母神論文問題ーー浮き彫りになる政治とメディアの危機」

 航空自衛隊の田母神俊雄・幕僚長が戦前などについて、政府見解を逸脱した主張を雑誌の懸賞論文として投稿した問題は、その後の処理の混乱を通じ、現在の日本の政治とメディアの抱える深刻な問題を浮き彫りにした。

 政府は、明確な文民統制違反を犯した田母神幕僚長を懲戒免職にすることができず、退職金の支給される通常の退職扱いとした。与野党は、田母神氏を国会に参考人招致しながら、氏がテレビで持論を展開することを防止しようと、NHKへの中継要請を見送り、NHKもこの判断を踏襲して、テレビ中継が行われない参考人招致という、異例の事態となった。その結果、インターネット中継が大きな関心を集め、一時はアクセスしにくい状況になった。こうした政府の姿勢は、田母神氏と正面から対決することを避けたようにも見え、この国の文民統制の実質が空洞化しているのではないかと危惧を感じさせる。

 メディアに関して特に問題と思われるのは、田母神氏の行為を問題視しながら、その問題点を明快に解説した報道が出ず、ただ「悪いものは悪い」と言わんばかりの報道になっていることだ。こうした報道は、ふだんからメディアに不信感を持っている人たち、特に若い人たちに対し、説得力がない。

 あたふたしている政治家の姿と、明快な解説をしないメディアの姿勢があいまって、田母神氏の解任がやましいことであるかのような雰囲気がかもし出されることになった。こうしたなか、持論を貫く田母神氏は堂々として見え、氏の主張が正しいかのような印象が広がっている。


言論の自由と自衛隊

 田母神氏を支持する根拠として使われているのが「言論の自由」という言葉である。田母神氏自身も、今月十一日に参議院外交防衛委員会での参考人招致で「私は私が書いたもの、それから、私が当然、自衛官も言論の自由が認められているはずだから、言論の自由が村山談話によって制約されると、いうことではないんではないかと思っておりましたので」(MSN産経ニュースより)と「言論の自由」という言葉を使っている。しかし、今回の問題は言論の自由とは全く関係がない。

 言論の自由は、憲法により全国民に保障されている。だから、一国民としての自衛官にも当然、言論の自由はある。しかし、ある職務についている者は、言論の自由とは関わりなく、職責上、それにふさわしくない言動をすることは許されない。これは、私たちが日常的に受け入れている常識に過ぎない。

 問題発言で罷免・更迭される大臣は後を絶たないが、これは、その発言内容が大臣にふさわしくないと判断されたからである。もし警察官や裁判官が犯罪を奨励するような発言を公にしたら、間違いなくクビになるだろう。学校の先生が少女売春を肯定する発言をしたら大問題になることは間違いない。こういった公職だけでなく、一般の会社員であっても、会社の事業を根本的に否定するような発言を公の場でしたら、やはりクビになるだろう。

 しかし、これらの発言は全て、言論の自由の対象であり、個人としての発言自体は自由である。犯罪を奨励するような発言をしても、実際に罪を犯さない限り、逮捕されることはない。ただ、その職に留まれないというだけの話だ。

 だから、田母神氏の問題は言論の自由とは関係がない。ただ、航空幕僚長という職務への適格性を欠いたというだけの話である。田母神氏が何を言っても個人としては自由で、逮捕されることはないが、ただ、その職には留まれない。言論の自由は職業上の身分保障とは関係がないのである。

 自衛隊の制服組トップという立場にある人が言論の自由を主張するのは、言論の自由という概念の歴史や文脈ともなじまない。言論の自由は、もともと強大な国家権力に対し、個人の権利を守るためのものである。その場合、言論の内容としては主に政治や社会、つまり公的な問題に関する内容が想定されている。

 戦前の日本では言論の自由は「法律の範囲内」で許されているに過ぎず、法を制定すれば特定の言論を取り締まることができた。事実、共産主義・社会主義や朝鮮独立などの主張が警察の取り締まりの対象になった。戦後の日本国憲法はその反省を踏まえ、法律の留保なしで「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」を認めている。その文脈が、主に「国家権力からの個人の自由」という点にあることは間違いない。

 もちろん、私人間において言論の自由が問題になることもある。例えば企業がある主張をしたことを理由に、社員を解雇したような場合である。社員が地位保全を求めて法廷論争になった場合、社員の主張が会社の業務にマイナスの影響を及ぼすものでない限りは、解雇権の乱用と見なされ、無効になる可能性が高い。公職であっても、実際上私人と大きな違いがない場合は、これに準じた法的保護を受ける。言論の自由と職業上の身分保障は直接の関係はないが、政治的・社会的な主張を理由にした解雇が正当化されるようだと、言論の自由を実質的に守ることは難しくなるだろう。そうした配慮と、労働者の権利保護の観点から、言論の自由と身分保障が関連付けられているのである。

 しかし、より公人としての色彩が強い特別職(大臣や国会議員など)はそれとは異なる。自衛隊員を含む防衛省職員も特別職である。彼らは国家権力の一部を直接担う人たちだから、彼らの「言論の自由」を身分保障を通じて守ることは問題にならない。むしろ、国家権力を行使する彼らがそれにふさわしい人であるかどうか、つまり職務への適格性の方がはるかに重要である。

 国会議員などの選挙職の場合は、その適格性を判断するのは選挙民であり、世論である。大臣などの政治的任命職の場合は、その判断は最終的には首相にゆだねられている。

 そして、自衛隊員の身分は、自衛隊法第31条で、任用、休職、復職、退職、免職、補職及び懲戒処分は、防衛大臣又はその委任を受けた者が行う、その人事管理に関する基準は、防衛大臣が定める、と定められている。つまり、自衛隊員の身分に関する全ての権限は、防衛大臣の政治的判断に一任されている。

 自衛隊は武力組織である。多くの人を殺し、政府を転覆する可能性を秘めた武力を保持している。事実、戦前において右翼の言論に影響を受けた軍人がクーデターやテロを繰り返し、結果として政党政治を転覆したことはよく知られている。このような事態を防止するため、武力組織は、国民の意思を代表する国家の厳格な指揮監督に従わなければならない。これがいわゆる文民統制の原理であり、軍隊が政治の実権を握る国でない限り、世界中どこの国でも当然とされる。今回、この原理が発動され、政府が国際的に表明した見解と異なる意見を発表した田母神氏が更迭されたのは、全く当然の措置といえる。

 自衛隊は日本の防衛を任務としているが、そのあり方は決して日本の国内的な問題ではない。自衛隊の防衛力は、アメリカとの同盟や周辺諸国との友好、更には仮想敵国といった緊張関係にある国など、多くの国との関係の基盤となるものであると同時に、こうした関係に規定されている。つまり、自衛隊の存在は日本の国際的な位置付けを支え、外交の基盤ともなる一方で、外国との関係により様々な制限を受けるということだ。その意味で自衛隊は国際政治・外交の欠かせない一部である。

 その自衛隊の最高幹部の一人が、日本政府の公式見解と異なる見解を明らかにしたことは、日本の国家的な意思が分裂していると見なされ、国家に大きな不利益をもたらす可能性がある。

 日本の過去に対する考えは人それぞれであり、国内に大きな世論の分裂を抱えている。しかし、村山談話と言われる一つの立場を政府が国際的に打ち出し、それを基礎として周辺諸国との関係構築を進めてきたことは事実だ。国際政治において、過去の歴史に対する見方は外国との関係構築の基盤となるものであり、現実的な意味を持っている。好むと好まざるとに関わらず、ある一つの歴史観の上に日本の国際的立場が築かれてきた。田母神氏の行為は、そうしたこれまでの積み重ねを危険にさらす。

 村山談話に対する異議があったとしても、その議論は、政治の場でなされるべきである。文民統制の対象である自衛隊員は、この議論に公に参加する資格はない。自衛隊員は政治的な意思決定とは距離を置き、自分の職務を着実に果たすことが務めである。現在の政府の立場と異なる意見を公に表明する自衛隊員にも言論の自由は保障されているので、逮捕されることはないが、自衛隊員としての適格性がなくなるので職を失うのは当然と言わなければならない。

 つまり、今回の問題では、田母神氏の主張の具体的な内容の一つ一つが問題なのではない(だから、この文章でも、田母神氏の論文の内容を検討する事はしていない)。この問題は、国家運営に関する原理原則の問題である。統一された政治意思のもと海外との関係を構築していくという、国家のあるべき姿をいかに守っていくかが問題とされているのである。


空洞化する文民統制

 このように、政府が田母神氏を更迭したことは全く正当であり、何の問題もない。それにも関わらず、懲戒免職ではなく定年退職とし、NHKによる国会中継を避けたことは将来に大きな禍根を残した。

 思うにそれは、政治家が文民統制に対する確信を欠いているためではないか。戦後60年余りが経ち、戦前の軍隊の横暴に対する記憶も薄れている。その一方で、平和憲法下の自衛隊の位置づけは未だに微妙なものがある。政治家には、自衛隊の存在そのものに対する実感が薄いように思われる。まるでなじみのない政府の一部門のように感じている。自衛隊が強力な武力組織であり、ちゃんと押さえ込んでおかなければ自分たちの身を危険にさらしかねないという実感もない。だから、田母神氏の問題を、厄介な不祥事が起こったとだけ感じ、問題の根本を見つめるよりも、早期に問題を片付けることを選んだのではないか。定年退職にしておきながら退職金の返納を求めたという醜態に、危機感の無さがよくにじみ出ている。

 だが政治家が田母神氏のテレビへの露出を恐れたという事実には、深刻な懸念を感じざるを得ない。自衛隊員を武人とするならば、政治家は文、つまり言葉を武器とし、議論によって生きる人たちであるはずだ。その政治家が、国民の目の前で自衛隊の制服組トップと議論によって対決する自信がなく、NHKもそれを受け入れた。

 いかなる制度も、その制度を担う人たちの気概や能力があってはじめて保たれるものである。文民統制ももちろんそうだ。もし政治家に自衛隊員を言葉の力で押さえ込む自信も気迫もないならば、いくら文民統制の制度はあっても、魂はない。今回の件で、政治家は足元を見透かされた。今度、自衛隊内で文民統制の裏をかこうとする動きが出たとしても不思議はない。

 この自信のなさは、あるいは政府を構成する政治家たちの多くが二世であることとも関係があるのかもしれない。今回の問題で表に出た首相、官房長官、防衛大臣のいずれもが二世政治家である。彼らは言葉の力でのし上がってきた人たちではない。もし今、政府の中枢に、田中角栄や野中広務のように、言葉の力を武器として一代で身を起こした人たちがいたら、少しは違っていたかもしれない。


明らかになった既成メディアの機能不全

 今回の問題に充分な解説ができないでいる既成メディアにも、大きな問題を感じる。既成メディアは文民統制の枠組みを当然のこととし、そもそもなぜ田母神氏の行動が問題なのか、ほとんど解説することなく、ただ田母神氏はけしからんと社説などで批判している。しかし、それでは全く充分ではない。

 かつてメディアは既成の枠組みを踏まえ、日本社会において何が正しく、何が間
違っているか判断を下す実質的な力を持っていたが、現在ではその力を急速に失いつつある。社会の枠組みが大きく変動する一方で、インターネットの言論が発達し、若い世代は最初から既成メディアの判断を疑ってかかっている。田母神氏の行為はどうして間違いなのか。根本から議論を組み立てて解説しなければ、ただ臭いものにフタをしているようにしか見えない。

 メディアや政治家が何かをただ否定しようとしているならば、その何かはきっと正しいに違いない。ネット世代はそう考える。田母神氏の人気が今インターネットで高まりつつあるのは、まさに、政治家と既成メディアが田母神氏をこぞって否定しようとしたからなのである。

 既成の枠組みを当然のこととすることなく、問題を根本から問い直すこと。今、メディアに求められているのはそれだが、既成メディアに決定的に欠けているのもその点なのである。田母神氏問題が浮き彫りにしたのは、既成メディアの深刻な機能不全である。言論解説機能を根本から鍛えなおさなければ、既成メディアに将来はない。

                        評論家、会社員:水牛健太郎

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