レッツ!りんぼう!
2008年2月4日本日はお義父様の命日です。
お坊様が仏壇のりん(鐘)をりん棒でならしはります。
ちーーーん、んわぁ〜〜ん あ〜〜ん ぁ〜ん。
いわゆる「うなり」というやつです。
倍数とは微妙に異なる周波数がいくつか重なることで
このような複雑な音色が発せられます。
自然界に存在する音は、ありとあらゆる周波数が混じり合い、倍数音なんてものは、希少種です。
リンの音は、この自然音と人工音の中間点で、両者の関わりを表現しています。
そう考えると、西洋音楽は、ある意味「テクノ」だったのかなぁ。などと思いました。
基準音を決定し、その周波数に調和する音だけで音楽を構成する。
「音の単純化」なわけですね。
声明とオケをコラボした舞台をやったときは、基準音の取り方でもめました。
複雑な周波数を出す仏具楽器や声明のうなりの、どの周波数を持って基準音とし、チューニングするのか?大問題です。
(そのときは結局、「なんとなく聴いた感じで」が結論でした。ブラボー)
「テクノ」あたりから始まった電子音楽は、楽器そのものが持つ自然な音成分さえも取り除き、単純矩形波などで音楽を構成することから始まりました。
今では、電子音楽も自然音と見まごうところまで複雑化しているのは、周知の事実です。
映像表現で言うと、フォトショップとイラストレーターのようなモノでしょうか。動画ファイルと3DCGと言ってもよいです。
そのままをスキャンした「ラスター系」なのか、トレースして数値化した「ベクトル系」なのか。ということで、大きな二つのくくりがあると思います。
現在の3DCGは、髪の毛一本一本までモデリングして、風の動きも入力し髪の毛がそよぐという所まで来ています。
もちろんそれには、大量の時間とコストが必要です。
セットを組んで人間が演じた方が安上がりな場合も少なくありません。
もちろんデジタルの世界は秒進分歩なので、コストはどんどん下がりクオリティーはどんどん上がっています。
クオリティーがいくら上がっても、欠如している雑味が存在し続けます。
音楽の世界も同様のことが言えるかもしれません。
完全にそぎ落とした世界からどんどん複雑化し、再構成されていく音世界。
そんな音にならされている私たちが居ます。
ドレミファソラシド。それすらも神の調和された世界を表現するために雑な音を切り捨て、単純化を施した音楽技法に過ぎません。
リンの音は、そんな気持ちを嘲笑うかのようにどっしりとした存在感を示しています。
現在と過去、自然と人工の中間の曖昧な地点の音を生みだすことで、脳がどちらのことでも想像できてしまうように仕向けます。
仏像が、歩き始める一歩手前のコマを表現し、動き出した瞬間と止まっていたときの映像を両方とも脳に描き出すように…。
バランスの良い食事をとらなくても、栄養補助食品を摂るからそれでいいや。と言う人がいます。
人間の知っている物質だけで世界が構成されているとでも思っているのでしょうか?
次々と新しいビタミンが発見されているというのに・・。
そこまで考えていると、お経が終わりました。
お坊様が仏壇のりん(鐘)をりん棒でならしはります。
ちーーーん、んわぁ〜〜ん あ〜〜ん ぁ〜ん。
いわゆる「うなり」というやつです。
倍数とは微妙に異なる周波数がいくつか重なることで
このような複雑な音色が発せられます。
自然界に存在する音は、ありとあらゆる周波数が混じり合い、倍数音なんてものは、希少種です。
リンの音は、この自然音と人工音の中間点で、両者の関わりを表現しています。
そう考えると、西洋音楽は、ある意味「テクノ」だったのかなぁ。などと思いました。
基準音を決定し、その周波数に調和する音だけで音楽を構成する。
「音の単純化」なわけですね。
声明とオケをコラボした舞台をやったときは、基準音の取り方でもめました。
複雑な周波数を出す仏具楽器や声明のうなりの、どの周波数を持って基準音とし、チューニングするのか?大問題です。
(そのときは結局、「なんとなく聴いた感じで」が結論でした。ブラボー)
「テクノ」あたりから始まった電子音楽は、楽器そのものが持つ自然な音成分さえも取り除き、単純矩形波などで音楽を構成することから始まりました。
今では、電子音楽も自然音と見まごうところまで複雑化しているのは、周知の事実です。
映像表現で言うと、フォトショップとイラストレーターのようなモノでしょうか。動画ファイルと3DCGと言ってもよいです。
そのままをスキャンした「ラスター系」なのか、トレースして数値化した「ベクトル系」なのか。ということで、大きな二つのくくりがあると思います。
現在の3DCGは、髪の毛一本一本までモデリングして、風の動きも入力し髪の毛がそよぐという所まで来ています。
もちろんそれには、大量の時間とコストが必要です。
セットを組んで人間が演じた方が安上がりな場合も少なくありません。
もちろんデジタルの世界は秒進分歩なので、コストはどんどん下がりクオリティーはどんどん上がっています。
クオリティーがいくら上がっても、欠如している雑味が存在し続けます。
音楽の世界も同様のことが言えるかもしれません。
完全にそぎ落とした世界からどんどん複雑化し、再構成されていく音世界。
そんな音にならされている私たちが居ます。
ドレミファソラシド。それすらも神の調和された世界を表現するために雑な音を切り捨て、単純化を施した音楽技法に過ぎません。
リンの音は、そんな気持ちを嘲笑うかのようにどっしりとした存在感を示しています。
現在と過去、自然と人工の中間の曖昧な地点の音を生みだすことで、脳がどちらのことでも想像できてしまうように仕向けます。
仏像が、歩き始める一歩手前のコマを表現し、動き出した瞬間と止まっていたときの映像を両方とも脳に描き出すように…。
バランスの良い食事をとらなくても、栄養補助食品を摂るからそれでいいや。と言う人がいます。
人間の知っている物質だけで世界が構成されているとでも思っているのでしょうか?
次々と新しいビタミンが発見されているというのに・・。
そこまで考えていると、お経が終わりました。
コメント