Be Prepared
2007年5月16日時々ボーイスカウトの頃を思い出す。
反感に感じたこと、理不尽な思いなど、イヤなことも色々あったが、今になると色々役に立つことが思い出される。
よく思い出すのが、スカウトのモットー
「そなえよつねに」
常にひらがなで書かれているので、小学生の頃は、何のことだかわからなかった。
何年も経ってから「備えよ常に」だと気づいて、
最近になって「Be Prepared」の訳語だろうなぁと思い至った。
今日ふと思い立って検索してみたらやっぱり「Be Prepared」だった。完了形だった。
こんな一つの単語が一人の男の心にしみいるまでに、これほどの時間がかかるんだなぁ。
ついでにWikiを読んでいると、あの頃訳もわからずに繰り返していた「ちかい」や「おきて」がいつの間にか自分の心にしみこんでいる。
その頃は、「なんじゃこりゃ?」「意味ねぇ」「バカ正直すぎぃ」と思っていた考え方が、いつの間にかどこかで自分の規範となっている部分もある。
「三つのちかい」や「12のおきて」の内容を再確認して、おもったんだけど、
こういうこっぱずかしい事を堂々と人前で言うって事が、やっぱり人の世の役に立つし、言わせるって事が人間形成に役立つ。
今考えてみれば、自分の親だって、こんな事を言おうとしていたんじゃないだろうか?
こんな簡潔にはまとめられないし、上手にしゃべる事すらおぼつかない親なりに、いけないことはいけないということを教えたくて伝えたくて、怒ったり怒鳴ったりどついたりしていたんじゃないかと思う。
なのに、そのことを理解できない子供がいる。
家族をなんとかうまく行くようにしよう。
子供がちゃんと育って欲しい。
そんなことを考えない親がどこにいるのか。
もちろん、世の中そう立派な親ばかりじゃない。
僕だってそうだ。
うまくやろうとするけど、上手に出来ない。
上手に出来なくて、どうしたらいいのかわからない。
そんな葛藤が世の中にはあふれている。
それでも、
そんな親でも、
何とかしたいって気持ちはあるんだ。
うまく運営しきれなかったからといって、
その親のことを能なしのように言う人を見ると、
涙が出てくる。
人はさまざまな局面で失敗も成功もする。
失敗の揚げ足取りをいつまでも続けるだけで
本質の部分で認めてあげられないのは、とっても悲しい。
他人をどれだけ理解できるかは、結局の所、自分が同じような状況をどれだけ経験したかによるんじゃないんだろうか?
自分が親をやらないで、親のことを理解するのは、なかなかに難しい事だと思う。
結局は、「親業」ってものが他人事になってしまうんだろう。
いつまでも、子供目線でしか親を見れない大人ってのは、うらさびしい。
どんな親でも「ありがとう」と言おうよ。感謝しよう。
親に関するわだかまりを終えないと次に進めないよ?
Be Prepared.
そなえよつねに
この言葉には、自分の予測できない事態がいつでも起こるという前提がある。
予測不能な事はいつでも起こるんだから、出来ることは完了しておけ。という意味である。
そして、いざという事態においては、他人のために働け。という願いがこめられている。
予測不可能な事態には備えることはできない。
できないのに、備えろと言う。
そのあたりにこの言葉の深さがある。
子育ては予測不可能なことの連続だ。
Be Prepared.
私たちはどれほどまでに自分自身を準備完了しきれているのか?
そして予測不可能にどれほど対処し切れているのか。
自分は今。Preparedか?
やるべきことはやったか?
・・・・
う〜ん、日記に逃げずに、宿題しよ。(笑)
反感に感じたこと、理不尽な思いなど、イヤなことも色々あったが、今になると色々役に立つことが思い出される。
よく思い出すのが、スカウトのモットー
「そなえよつねに」
常にひらがなで書かれているので、小学生の頃は、何のことだかわからなかった。
何年も経ってから「備えよ常に」だと気づいて、
最近になって「Be Prepared」の訳語だろうなぁと思い至った。
今日ふと思い立って検索してみたらやっぱり「Be Prepared」だった。完了形だった。
こんな一つの単語が一人の男の心にしみいるまでに、これほどの時間がかかるんだなぁ。
ついでにWikiを読んでいると、あの頃訳もわからずに繰り返していた「ちかい」や「おきて」がいつの間にか自分の心にしみこんでいる。
その頃は、「なんじゃこりゃ?」「意味ねぇ」「バカ正直すぎぃ」と思っていた考え方が、いつの間にかどこかで自分の規範となっている部分もある。
「三つのちかい」や「12のおきて」の内容を再確認して、おもったんだけど、
こういうこっぱずかしい事を堂々と人前で言うって事が、やっぱり人の世の役に立つし、言わせるって事が人間形成に役立つ。
今考えてみれば、自分の親だって、こんな事を言おうとしていたんじゃないだろうか?
こんな簡潔にはまとめられないし、上手にしゃべる事すらおぼつかない親なりに、いけないことはいけないということを教えたくて伝えたくて、怒ったり怒鳴ったりどついたりしていたんじゃないかと思う。
なのに、そのことを理解できない子供がいる。
家族をなんとかうまく行くようにしよう。
子供がちゃんと育って欲しい。
そんなことを考えない親がどこにいるのか。
もちろん、世の中そう立派な親ばかりじゃない。
僕だってそうだ。
うまくやろうとするけど、上手に出来ない。
上手に出来なくて、どうしたらいいのかわからない。
そんな葛藤が世の中にはあふれている。
それでも、
そんな親でも、
何とかしたいって気持ちはあるんだ。
うまく運営しきれなかったからといって、
その親のことを能なしのように言う人を見ると、
涙が出てくる。
人はさまざまな局面で失敗も成功もする。
失敗の揚げ足取りをいつまでも続けるだけで
本質の部分で認めてあげられないのは、とっても悲しい。
他人をどれだけ理解できるかは、結局の所、自分が同じような状況をどれだけ経験したかによるんじゃないんだろうか?
自分が親をやらないで、親のことを理解するのは、なかなかに難しい事だと思う。
結局は、「親業」ってものが他人事になってしまうんだろう。
いつまでも、子供目線でしか親を見れない大人ってのは、うらさびしい。
どんな親でも「ありがとう」と言おうよ。感謝しよう。
親に関するわだかまりを終えないと次に進めないよ?
Be Prepared.
そなえよつねに
この言葉には、自分の予測できない事態がいつでも起こるという前提がある。
予測不能な事はいつでも起こるんだから、出来ることは完了しておけ。という意味である。
そして、いざという事態においては、他人のために働け。という願いがこめられている。
予測不可能な事態には備えることはできない。
できないのに、備えろと言う。
そのあたりにこの言葉の深さがある。
子育ては予測不可能なことの連続だ。
Be Prepared.
私たちはどれほどまでに自分自身を準備完了しきれているのか?
そして予測不可能にどれほど対処し切れているのか。
自分は今。Preparedか?
やるべきことはやったか?
・・・・
う〜ん、日記に逃げずに、宿題しよ。(笑)
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