本屋で名倉潤が推薦してたので、
「おひおひ、名倉潤が推薦しても価値は上がらんダロ」
なんて思いながら手に取ってみた。

いやぁ、おもしろい本だ。

どうにもこうにも一直線な考え方が流行する昨今、
こういう本もないとバランスがとれない。

立ち読みで半分ぐらい読んじゃえるぐらい平易な文章。
読みやすいのはいいことだ。

世の中の99.9%が仮説だなんてことは、まぁ、言ってみれば当たり前のことで、当たり前だから忘れがちなのでキチンともう一度当たり前だったことを思い出すのは良いことだ。

そうだなぁ。と思ったのは帰納法と演繹法のくだり。
一つの命題をどこまでも演繹してゆくのは間違いだ。
と思っていたけど、帰納法では世の中が進んでいかない、
というのもなるほどなぁと思う次第。

いくら実験結果が正しくても、世の中の常識を打ち崩せる力がないと仮説としても立ち行かなくなる。というおもしろさ。

ま、何となくおもしろいので買って最後まで読んだのですが、最新の科学の領域では、あらゆるものを相対化して捉えるのが主流だ。というあたりは、ふむむでなるほどなんだけど、どうにも理解しにくい。

アインシュタインの相対性理論が理解しにくいのも、あっちからみたのも、こっちからみたのも、絶対軸で見ると一致しないけどどっちも正しく、相対的に正しければそれでいい。
という「相対論的に正しい」という考え方が一番難しい。
んだそうだ。
確かにわかりにくい。

わかりにくいので、卑近な例に落としてみる。

A国は「B国が悪い」と言う。B国は「A国が悪い」という。
国連から見ると、どっちも正しい。
って事だ。

一国の首相は、演繹法で喋らなければならない運命を持つ。
「我が国の正義は、甲だ!」と世界に向かって主張する。
B国は「乙と、我が国は甲じゃない!乙だ。」てな具合だ。
どっちも正しい。

どっちも正しいのはわかっているんだけど、
インターナショナルというのは、ネイション(国家)とネイションのインター(間のこと)なので、ネイションの論調の軸が一方向を向いてくれていないと相手国も交渉がしにくくてたまらない。
てなわけで、双方とも「ま、どっちもどっちなんだけどねー」とは思いながらも「甲だ」「乙だ」とやり合うわけである。

国連的にはどっちも正しいので、落ち着きどころをインター・ナショナルに模索するわけである。

そういう考え方が大人の考え方で、
誰かの意見に流されて「この考え方が正しい!」とか「相対論は何事も進ませられない」なんて言っている人は、国論という政治的カードの一翼をいつの間にか担わされているだけである。

ま、そんなことすらも、常識で、仮説なんだよ。というのが、この本の論点なのである。

子供にも読ませたい本だ。

  

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