卒業式
2006年3月14日公立中学の卒業式に参加した。
とりまく色んな状況が見えて興味深かった。
開式の3分前ぐらいに着いたら、体育館の中で「君が代」が流れていた。式次第に「君が代斉唱」はなし。会場に入ったら「ご着席下さい」だったので斉唱要請あったのかはわからず。
壇上、後ろに縦型に日の丸が吊ってある。大きい。
壇上上手、校旗が立ててある。下手は花台。センターに演台。
なぜだろう?公立中学なのに設立自治体の旗は揚がっていない。
重要なことだと思うんだが・・。
いつものように周囲ぐるっとあるキャットウォークに吹奏楽部の面々。指揮者は舞台が見えるように一番後ろ。指揮者の方を向いているメンバーは式典中舞台は一切見えない。本当にご苦労様。
司会が開式宣言するといきなり卒業証書授与。
スピードアップのためか、舞台上に2名待ち、舞台下に4名待ち。
見栄え的には授与される瞬間に次の人が舞台に上がっていき、階段をあがった瞬間に渡し終わり、階段上で立ち止まったら時に授与された人が階段を降り始め、次の人の名前を読み上げる。というのがきれいなのだが、中学生相手にそこまで練習をやりこめないよなぁと思いながらも、壇上は1名待ちでいいのじゃないなぁ。なんて事を考えながら見ていると、やっぱりそこは中学生。校長先生と握手するやつ、振り向いたときに客席に手を振るやつ、やたらと大声なやつ。ああこれだけユニークな連中が集まってたら、壇上に2名ぐらい置いておかないと、なかなか来ないやつで大変なんだろうなぁと納得。
終わってから校長の挨拶。
参列市議、教育委員会、その他諸々への感謝の辞ばかりがならび、卒業生への言葉は他人のために尽くしなさいというような内容。う〜ん、卒業式でいうことかなぁ・・。ずっと読んでるだけだったし・・。現代の管理社会で「校長になる」ということがどういうことなのかいろいろ考えてしまった。この自治体の教育委員会だけの問題なのかも知れないが・・・。
送辞が終わって答辞には卒業生が6名も出てきた。
いろんなひとのいろんな中学生活を述べるようだ。
一人目はクラブのこと二人目は修学旅行実行委員会のこと。
なかなかにやんちゃな学年だったようでまとまらせるのが大変だったようだ。
最後から二人目は女の子。ついこないだお父さんを亡くしたという話。そりゃ大変だったろうねぇ。客席のお母さん方泣いてるよ、式は盛り上がりますよ。でもはてさて卒業と関係あるのかな?
最後の子は卒業証書の名前の話。
ずっと日本名で普通に暮らしてきたけど、二人暮らしのお母さんが「フィリピン姓でもらってほしい」と降ってわいたような話に驚いた。という話。いやだとか、他に身寄りのない母を思う心とか。
しっかり受け止めて考えると、日本の将来とか世界とか日本人とは、とかいろんな事を考え、彼女の後にかかってる日の丸を見た。
客席からはあちこちでズルズルびーびー。まるでメロドラマの観客のようだ。客席の観客をみながら、もう一度日の丸を見た。
メロドラマに酔いしれるもの、壇上でピースする中学生とその親、フィリピン人だった母と日本人の娘と離婚した日本人の父、上ばかり見る校長、人が集まるところにだけ出てくる議員、荒れる生徒、それでも卒業式に全員参加させなんとか3年間を運営しきった表に出ない先生方。彼らすべてを抱えたまま卒業式は無事終了した。
子供が入学するときは、公立でよいのかと悩んだ。
だけど、地域割りの公立中学は
とんでもないバカもめっちゃかいこいやつも金持ちも貧乏人も、さまざまな人がやってくる。日本の縮図を体験するこんないい機会は公立中学よりあとには体験できない。
入学の時、そうおもって納得したが、卒業式を見て、間違ってなかったと感じた。
どんな体験でも実体験は大事だ。
無駄にするか糧にするか傷と捉えるかは本人次第だが、実体験は何物にも代えられないものだ。
いろんな日本人がいて、
ひとりひとりは目に見えないけれど、頑張ってる。
あの日の丸の色は、みんなが生きていく結果で変わっていく。
日の丸をお仕着せにしてはいけない。
ひとりひとりの行動がこの国を作っていく。変えてゆく。
壇上のどでかい日の丸を掲げさせた人は、
そういうことを考えていたのだろうか?
とりまく色んな状況が見えて興味深かった。
開式の3分前ぐらいに着いたら、体育館の中で「君が代」が流れていた。式次第に「君が代斉唱」はなし。会場に入ったら「ご着席下さい」だったので斉唱要請あったのかはわからず。
壇上、後ろに縦型に日の丸が吊ってある。大きい。
壇上上手、校旗が立ててある。下手は花台。センターに演台。
なぜだろう?公立中学なのに設立自治体の旗は揚がっていない。
重要なことだと思うんだが・・。
いつものように周囲ぐるっとあるキャットウォークに吹奏楽部の面々。指揮者は舞台が見えるように一番後ろ。指揮者の方を向いているメンバーは式典中舞台は一切見えない。本当にご苦労様。
司会が開式宣言するといきなり卒業証書授与。
スピードアップのためか、舞台上に2名待ち、舞台下に4名待ち。
見栄え的には授与される瞬間に次の人が舞台に上がっていき、階段をあがった瞬間に渡し終わり、階段上で立ち止まったら時に授与された人が階段を降り始め、次の人の名前を読み上げる。というのがきれいなのだが、中学生相手にそこまで練習をやりこめないよなぁと思いながらも、壇上は1名待ちでいいのじゃないなぁ。なんて事を考えながら見ていると、やっぱりそこは中学生。校長先生と握手するやつ、振り向いたときに客席に手を振るやつ、やたらと大声なやつ。ああこれだけユニークな連中が集まってたら、壇上に2名ぐらい置いておかないと、なかなか来ないやつで大変なんだろうなぁと納得。
終わってから校長の挨拶。
参列市議、教育委員会、その他諸々への感謝の辞ばかりがならび、卒業生への言葉は他人のために尽くしなさいというような内容。う〜ん、卒業式でいうことかなぁ・・。ずっと読んでるだけだったし・・。現代の管理社会で「校長になる」ということがどういうことなのかいろいろ考えてしまった。この自治体の教育委員会だけの問題なのかも知れないが・・・。
送辞が終わって答辞には卒業生が6名も出てきた。
いろんなひとのいろんな中学生活を述べるようだ。
一人目はクラブのこと二人目は修学旅行実行委員会のこと。
なかなかにやんちゃな学年だったようでまとまらせるのが大変だったようだ。
最後から二人目は女の子。ついこないだお父さんを亡くしたという話。そりゃ大変だったろうねぇ。客席のお母さん方泣いてるよ、式は盛り上がりますよ。でもはてさて卒業と関係あるのかな?
最後の子は卒業証書の名前の話。
ずっと日本名で普通に暮らしてきたけど、二人暮らしのお母さんが「フィリピン姓でもらってほしい」と降ってわいたような話に驚いた。という話。いやだとか、他に身寄りのない母を思う心とか。
しっかり受け止めて考えると、日本の将来とか世界とか日本人とは、とかいろんな事を考え、彼女の後にかかってる日の丸を見た。
客席からはあちこちでズルズルびーびー。まるでメロドラマの観客のようだ。客席の観客をみながら、もう一度日の丸を見た。
メロドラマに酔いしれるもの、壇上でピースする中学生とその親、フィリピン人だった母と日本人の娘と離婚した日本人の父、上ばかり見る校長、人が集まるところにだけ出てくる議員、荒れる生徒、それでも卒業式に全員参加させなんとか3年間を運営しきった表に出ない先生方。彼らすべてを抱えたまま卒業式は無事終了した。
子供が入学するときは、公立でよいのかと悩んだ。
だけど、地域割りの公立中学は
とんでもないバカもめっちゃかいこいやつも金持ちも貧乏人も、さまざまな人がやってくる。日本の縮図を体験するこんないい機会は公立中学よりあとには体験できない。
入学の時、そうおもって納得したが、卒業式を見て、間違ってなかったと感じた。
どんな体験でも実体験は大事だ。
無駄にするか糧にするか傷と捉えるかは本人次第だが、実体験は何物にも代えられないものだ。
いろんな日本人がいて、
ひとりひとりは目に見えないけれど、頑張ってる。
あの日の丸の色は、みんなが生きていく結果で変わっていく。
日の丸をお仕着せにしてはいけない。
ひとりひとりの行動がこの国を作っていく。変えてゆく。
壇上のどでかい日の丸を掲げさせた人は、
そういうことを考えていたのだろうか?
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