正しい生き方ぁ?
2006年2月26日私の生き方は正しくないと言われて困っていると
お手紙をもらいました。
もう、神経がへとへとに疲れて、
参りきっているようです。
正しくないと言っている人は絶対神ですか?
ただの人でしょ?
ただの人なら間違うこともあるから、
気にする事なんてなんにもないよ。
と言っておきました。
何かの理論書が…?その理論書書いたのもただの人間でしょ?
気にしなさんな。
正しい生き方なんて誰が見た正しさなんでしょう。
30何年ちゃんと生き残ってきたんだから、それでいいんだよ。
誰かをへとへとになるまで攻撃するなんて、
きっとその人の方が変です。
変な人は、遠ざけておくに限ります。
さて、そんな話はおいておいといて。
外国の論文を学習する際には、
気をつけなければならないことがあります。
一つは言葉の問題です。
もう一つは、文化の問題です。
外国文化を直輸入して良いかどうかは、
一人一人の頭の中で税関を設けて、検疫しなきゃなりません。
「この考え方はなじむか?」という問題ですね。
食人文化なんて、誰が考えても日本に持ち込めないでしょう。
「この文化は正しい!」と大声を上げても、
誰も聞く耳を持ってもらえません。
あとは、程度の問題です。
外国文化を紹介するときは、影響を良く考えて紹介しましょう。
その文化ギャップの入り口として、
言葉の問題があります。
大抵は簡単すぎる単語の背景となる文化の理解不足です。
たとえば、ADULTという単語と大人という単語は、
辞書的には、ほぼ一致するのですが、
文化背景はかなり異なります。
ADULTはラテン語のGlownUpという意味が語源となっていて、
育ちきっちゃった。って言う意味です。
Glownですからこれ以上育たないんでしょうか?わかりません。
そこから派生して、「人が精神的にも肉体的にも充分におとなになった。」【研究社新英和中辞典三訂版】というような意味合いも生まれてきます。
Ripe(熟した)という単語との比較もおもしろいです。
さて、日本語のおとなですが、ADULTと完全に一致しているか?
というと微妙なニュアンスがあります。
漢字の「大人」は中国で重要官僚を示す「たいじん」から来ています。日本でも大人(たいじん)は、人格が高く立派な人という意味です。
同じ漢字を使っても「おとな」は、「一人前に成人した人。(自覚・自活能力も持ち、社会の裏表も少しずつわかりかけてきた意味で言う)」【三省堂新明解国語辞典第四版】とあり、「たいじん」的な意味ではありません。
東洋の農耕文化においては、おとなは必ずしもたいじんである必要はなく、村々にたいじんがちょっといればよくて、自分のことも満足に出来ないこどもじゃなければ、ただのおとなで結構ですよ。という文化であるとって感じでしょうか?
果てしなき頂点をめざしたい人はたいじんになればいいけど、
とりあえず、おとな程度の頼りなさでいいですよ。
それで充分じゃないですかという文化ですよね。
狩猟民族は、生きるか死ぬかなので、
一人っきりで生き残れるのがADULTなんでしょう。
ADULTには、とっても厳しい生死がかかっている。
そんな感じがします。
「ADULTでないのに生きているのは不自然だ。」
という根本的な共通認識があるんではないでしょうか。
どっちの文化にせよ、
「その文化が間違っている。」といわれれば困ります。
ただ、そういう文化があるわけで、
そこに暮らすのがいやだったら、
くつがえそうとして嫌われるか、
本当にくつがえしちゃうか、
それができなければ、
どっか人でなしの国に引き越すしかない。
と坂道を登りながらでも考えて下さい。(^^)
外国文化を学ぶということは、
こういう基礎単語のバックボーンをどこまで理解しきるか
ということが基礎にあります。
そして、外国文化の基礎を学べば学ぶほど、
日本文化を知りたくなりますね。
村上春樹さんが趣味としている翻訳周辺の著作も面白いです。
そういえば、
昨日は、黒澤明を見ました。
じゅんさんが大喜びでした。
「善の研究」が最近気になります。
中学・高校とチャレンジしたけど、頭に入りませんでした。
ええ年になったので、そろそろわかるかなぁ。
しょせんは、ただのおとななので、やっぱりわからないかもしれませんねぇ。(^_^)ゞ
P.S.
もちろんおとなは、子供の前では、たいじんの意味でおとなって言葉使うんだよね(^^)。そのへんがしょせんおとなだよね^^;。
お手紙をもらいました。
もう、神経がへとへとに疲れて、
参りきっているようです。
正しくないと言っている人は絶対神ですか?
ただの人でしょ?
ただの人なら間違うこともあるから、
気にする事なんてなんにもないよ。
と言っておきました。
何かの理論書が…?その理論書書いたのもただの人間でしょ?
気にしなさんな。
正しい生き方なんて誰が見た正しさなんでしょう。
30何年ちゃんと生き残ってきたんだから、それでいいんだよ。
誰かをへとへとになるまで攻撃するなんて、
きっとその人の方が変です。
変な人は、遠ざけておくに限ります。
さて、そんな話はおいておいといて。
外国の論文を学習する際には、
気をつけなければならないことがあります。
一つは言葉の問題です。
もう一つは、文化の問題です。
外国文化を直輸入して良いかどうかは、
一人一人の頭の中で税関を設けて、検疫しなきゃなりません。
「この考え方はなじむか?」という問題ですね。
食人文化なんて、誰が考えても日本に持ち込めないでしょう。
「この文化は正しい!」と大声を上げても、
誰も聞く耳を持ってもらえません。
あとは、程度の問題です。
外国文化を紹介するときは、影響を良く考えて紹介しましょう。
その文化ギャップの入り口として、
言葉の問題があります。
大抵は簡単すぎる単語の背景となる文化の理解不足です。
たとえば、ADULTという単語と大人という単語は、
辞書的には、ほぼ一致するのですが、
文化背景はかなり異なります。
ADULTはラテン語のGlownUpという意味が語源となっていて、
育ちきっちゃった。って言う意味です。
Glownですからこれ以上育たないんでしょうか?わかりません。
そこから派生して、「人が精神的にも肉体的にも充分におとなになった。」【研究社新英和中辞典三訂版】というような意味合いも生まれてきます。
Ripe(熟した)という単語との比較もおもしろいです。
さて、日本語のおとなですが、ADULTと完全に一致しているか?
というと微妙なニュアンスがあります。
漢字の「大人」は中国で重要官僚を示す「たいじん」から来ています。日本でも大人(たいじん)は、人格が高く立派な人という意味です。
同じ漢字を使っても「おとな」は、「一人前に成人した人。(自覚・自活能力も持ち、社会の裏表も少しずつわかりかけてきた意味で言う)」【三省堂新明解国語辞典第四版】とあり、「たいじん」的な意味ではありません。
東洋の農耕文化においては、おとなは必ずしもたいじんである必要はなく、村々にたいじんがちょっといればよくて、自分のことも満足に出来ないこどもじゃなければ、ただのおとなで結構ですよ。という文化であるとって感じでしょうか?
果てしなき頂点をめざしたい人はたいじんになればいいけど、
とりあえず、おとな程度の頼りなさでいいですよ。
それで充分じゃないですかという文化ですよね。
狩猟民族は、生きるか死ぬかなので、
一人っきりで生き残れるのがADULTなんでしょう。
ADULTには、とっても厳しい生死がかかっている。
そんな感じがします。
「ADULTでないのに生きているのは不自然だ。」
という根本的な共通認識があるんではないでしょうか。
どっちの文化にせよ、
「その文化が間違っている。」といわれれば困ります。
ただ、そういう文化があるわけで、
そこに暮らすのがいやだったら、
くつがえそうとして嫌われるか、
本当にくつがえしちゃうか、
それができなければ、
どっか人でなしの国に引き越すしかない。
と坂道を登りながらでも考えて下さい。(^^)
外国文化を学ぶということは、
こういう基礎単語のバックボーンをどこまで理解しきるか
ということが基礎にあります。
そして、外国文化の基礎を学べば学ぶほど、
日本文化を知りたくなりますね。
村上春樹さんが趣味としている翻訳周辺の著作も面白いです。
そういえば、
昨日は、黒澤明を見ました。
じゅんさんが大喜びでした。
「善の研究」が最近気になります。
中学・高校とチャレンジしたけど、頭に入りませんでした。
ええ年になったので、そろそろわかるかなぁ。
しょせんは、ただのおとななので、やっぱりわからないかもしれませんねぇ。(^_^)ゞ
P.S.
もちろんおとなは、子供の前では、たいじんの意味でおとなって言葉使うんだよね(^^)。そのへんがしょせんおとなだよね^^;。
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