(2)からの続き

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知らない子供達と公園で遊んだことがありました。
何か忘れましたが、大人として叱るべきようなことをされました。

4人ぐらいの子供達で、ぐるぐる回る遊具で回っていました。
その中の数人が、私に砂か何かをかけた。とかそんなことだと思います。

「こいつら!」とおもって、
その中の一人を捕まえて、叱りました。

でも、その子は、やってない子でした。

大人として非常に恥ずかしい思いをしたことを覚えています。

「こいつら!」と思うとき、個人の顔が見えなくなること、
これは、とっても危険なことだと、痛感しました。

差別の問題や、民族紛争の問題も、根っこにはこんな問題が隠れていると思います。

十把ひとからげに論じて、個々の問題をほったらかしにしてしまうことです。

「一般論として、差別問題を考える。」
これは、危険な行為かもしれません。

「たぶん、障害を持つ人はこう考えるだろう。」
という考え方は、一番危険だと思います。

「先回りして、考える」というのは、
自分を障害や差別から一番遠いところに置くことではないでしょうか?

知らないことは、本人に聞く。
これ以外に方法はありません。

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多指症がある。これは、厳然とした事実です。

それ自体は、意味を持ちません。

指が多いだけで、普通の人間です。
違う点は、周りの人が「ぎょっ」とするというだけです。

本人にとっては、鉛筆の形とかが不便だ。もっと良い鉛筆はないのか。
なんて細々としたことはあるかもしれません。

多指症の人が気持ちよく生きてゆくためには、何が必要なんでしょうか?

自分自身の状態に関することを隠すことを、求めているのでしょうか?

多指症でも、普通の人と同様に扱ってもらえることが一番大事なんじゃないでしょう
か?

それには、もっと多指症のことを宣伝したい。と考える人もいるかもしれません。

もちろん、ほおっておいてくれ。と言う人も多いと思います。

多指症でないひとが、ああだこうだということは、
多指症では無い人の意見。としてしか聞くことは出来ません。

だから、上記の意見も、
多指症ではない基地外の私の個人的な意見だと思って聞いてください。

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Painterが箱にあのデザインをするだけで、これだけの議論がされました。
私も多指症という言葉を覚えました。
それだけでも、多指症の人には、有意義だったかもしれません。

たぶん、カナダのCorel社のマーケティングは、
多指症の人たちへの聞き取り調査をし、
そのあたりのリサーチもした上で、あのデザインを持ってきていると思います。

そして、「あのパッケージはなんじゃ!」と言う人への反論も、
きっと準備していると思います。

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私は、いまだに、みつくちのひとと、みつくちのことを笑って話題に出来ません。
だから、まだこの項目は未完の意見です。結論ではありません。

だから、きっと、どこかが間違ってます。

でも、間違い。

と言う考え方も間違ってるのかもしれませんね。


長文失礼しました。

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