暴力ってなんだろう。
2005年1月10日なんだか良く整理できていないんだけど。
忘れちゃならないことがある。
1.暴力をふるうことは快感である。
2.快感は依存症を産みうる。
たぶん捕食活動と密接に関わっているからなんだろうけど
暴力は快感と密接な関係にある。
DVのインタビューなんかを読んでいても
「自分が暴力をふるっているということが信じられない。」
という表現が良くある。
暴力というものから遠ざけられすぎている私たちには、
暴力というものの功罪を理解できずにいるのだろう。
「暴力は良くないこと」だけにならされている私たちは、
いざ、自分が暴力をふるったときに生ずる快感にとまどう。
これだけは、忘れてはいけない。
暴力は、気持ちいい。
だから、自制の仕組みを自分自身で組み立て、
保持し続けないといけない。
一番たちの悪いのは、「暴力をふるう理由を組み立てること」だ。
それは、自己正当化でしかなく、自分勝手な論理でしかない。
暴力を受けた人間は、遅かれ早かれ、誰かに暴力をふるう。
心の傷を癒すために、暴力をふるう。
そんな自分が信じられなくて自己正当化が始まる。
正当性の根拠を組み立ててしまうと、歯止めが無くなる。
ただ単に「暴力の気持ちよさ」に依存しているだけなのに・・。
暴力は、物理的なものだけではない。
言葉でも暴力はふるえる。
暴力メールが連鎖し歯止めが効かないのは、
こういう理由だと思う。
忘れちゃならないことがある。
1.暴力をふるうことは快感である。
2.快感は依存症を産みうる。
たぶん捕食活動と密接に関わっているからなんだろうけど
暴力は快感と密接な関係にある。
DVのインタビューなんかを読んでいても
「自分が暴力をふるっているということが信じられない。」
という表現が良くある。
暴力というものから遠ざけられすぎている私たちには、
暴力というものの功罪を理解できずにいるのだろう。
「暴力は良くないこと」だけにならされている私たちは、
いざ、自分が暴力をふるったときに生ずる快感にとまどう。
これだけは、忘れてはいけない。
暴力は、気持ちいい。
だから、自制の仕組みを自分自身で組み立て、
保持し続けないといけない。
一番たちの悪いのは、「暴力をふるう理由を組み立てること」だ。
それは、自己正当化でしかなく、自分勝手な論理でしかない。
暴力を受けた人間は、遅かれ早かれ、誰かに暴力をふるう。
心の傷を癒すために、暴力をふるう。
そんな自分が信じられなくて自己正当化が始まる。
正当性の根拠を組み立ててしまうと、歯止めが無くなる。
ただ単に「暴力の気持ちよさ」に依存しているだけなのに・・。
暴力は、物理的なものだけではない。
言葉でも暴力はふるえる。
暴力メールが連鎖し歯止めが効かないのは、
こういう理由だと思う。
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