まとまってないのに書いてどうする。
2004年9月29日死についてというのは、小学校5年ぐらいからのテーマだ。
死んじゃったら、どうなんるんだろう。
なんにもなくなるんだ。
いまものを考えてる、この私は、いっさい消えてしまうんだ。
という恐怖。
これに対する対処方法。というのが一つのテーマとしてある。
もちろん「何もなくなる」が正解であり、
揺るがしようのない事実。
子供の頃には、歴史に残るような大人物になれば、
いいじゃないか。などという大人の言葉。
自分の意識、と言うものは肥大化しすぎた脳が、
無駄に回路を駆けめぐっているだけだ。
と言う意見。
生物なんて、DNAが生き残るための入れ物に過ぎない。という見地。
そして、実際に自分の子が生まれ、DNAは残すことが出来た。
(一人だけなのではなはだ不安だけどね〜)
最近は、自分の身体が少しずつ弱ってきているのが自覚できる。
この身体、あとどれぐらいで使い切れるんだろうなぁ。
なんてことを考える。
自分が本当に親しくしている人間がどんどん死んでいって、
自分の身体が、どんどん使い物にならなくなっていったら、
生きていること自体、めんどくさくなる。
って時が、遠い将来確実に来るんだろうなぁ。
ということは、どんどん実感できるようになってきた。
死の恐怖から逃れる。という事にはならないけど、
死を受け入れる準備っていうのは、
折に触れ、心がけていかないと、
人生で損をしそうな気がするなぁ。と
なんとなく思う。
死んじゃったら、どうなんるんだろう。
なんにもなくなるんだ。
いまものを考えてる、この私は、いっさい消えてしまうんだ。
という恐怖。
これに対する対処方法。というのが一つのテーマとしてある。
もちろん「何もなくなる」が正解であり、
揺るがしようのない事実。
子供の頃には、歴史に残るような大人物になれば、
いいじゃないか。などという大人の言葉。
自分の意識、と言うものは肥大化しすぎた脳が、
無駄に回路を駆けめぐっているだけだ。
と言う意見。
生物なんて、DNAが生き残るための入れ物に過ぎない。という見地。
そして、実際に自分の子が生まれ、DNAは残すことが出来た。
(一人だけなのではなはだ不安だけどね〜)
最近は、自分の身体が少しずつ弱ってきているのが自覚できる。
この身体、あとどれぐらいで使い切れるんだろうなぁ。
なんてことを考える。
自分が本当に親しくしている人間がどんどん死んでいって、
自分の身体が、どんどん使い物にならなくなっていったら、
生きていること自体、めんどくさくなる。
って時が、遠い将来確実に来るんだろうなぁ。
ということは、どんどん実感できるようになってきた。
死の恐怖から逃れる。という事にはならないけど、
死を受け入れる準備っていうのは、
折に触れ、心がけていかないと、
人生で損をしそうな気がするなぁ。と
なんとなく思う。
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