富士登山リベンジ
2004年8月17日あいにくの雨である。
五合目ですでに降っている。
レインコートを着込んで出発である。
今年は若い人たちが多い。
去年のようなおばあさんが居ない。
富士山のガイド「強力(ごうりき)」さんも、
大学出たてみたいな、若い人である。
あいかわらず、女性が多い。
「一番弱い人は、一番前に来て」
いつもの号令であるが、一番前は、若い女性だらけ、
じゅんさんは、中学二年で弱いのであるが、
身長はパーティーで一番高く、雨具で年齢は不詳である。
ちょっと気が引ける・・
5番手ぐらいにつけて歩き出す。
じゅんさんの靴ひもがほどけて最後尾になる。
じゅんさん取り返そうとペースを上げる。
息が切れる、切れた息を取り返せない、
パニックになる、より息が取り戻せない。
なんとか次の小休止まで歩かせて、
一番先頭をゲット。
強力さんにペースを配慮してもらうように頼み、
じゅんには、強力さんの足跡を踏みながら歩けと言う。
「それが、一番上手になる近道だ」
その言葉が強力さんに聞こえる。
強力さんは仕事モードから倶楽部の先輩モードになる。
その後はきわめて順調だった。
じゅんさんは、めきめき上達していった。
強力さんと身長も近いので、私の足跡を踏むより
体にあうんだろう。
雨と風はどんどんきつくなっていった。
突風をかわすために立ち止まる事が多くなった。
8合目山小屋到着。
昨年はひぃひぃ泣きながら到着していたのに、
今回は軽口叩きながらの到着である。
「今年は頂上まで行ける」と確信した。
肉うどんを食って寝る。
起床予定の午後11時15分になっても呼びに来ない。
山小屋を誰かが高圧ホースで洗っているような雨。
雷も光っている。
午後12時。頂上アタック断念が知らされる。
そりゃ仕方ないだろう・・。
また来年・・・・。(げろげろ)
山小屋のオイルサーディン状態で、2時間仮眠は何度もしたが、
朝まで寝るのはさすがにこたえた。
五合目ですでに降っている。
レインコートを着込んで出発である。
今年は若い人たちが多い。
去年のようなおばあさんが居ない。
富士山のガイド「強力(ごうりき)」さんも、
大学出たてみたいな、若い人である。
あいかわらず、女性が多い。
「一番弱い人は、一番前に来て」
いつもの号令であるが、一番前は、若い女性だらけ、
じゅんさんは、中学二年で弱いのであるが、
身長はパーティーで一番高く、雨具で年齢は不詳である。
ちょっと気が引ける・・
5番手ぐらいにつけて歩き出す。
じゅんさんの靴ひもがほどけて最後尾になる。
じゅんさん取り返そうとペースを上げる。
息が切れる、切れた息を取り返せない、
パニックになる、より息が取り戻せない。
なんとか次の小休止まで歩かせて、
一番先頭をゲット。
強力さんにペースを配慮してもらうように頼み、
じゅんには、強力さんの足跡を踏みながら歩けと言う。
「それが、一番上手になる近道だ」
その言葉が強力さんに聞こえる。
強力さんは仕事モードから倶楽部の先輩モードになる。
その後はきわめて順調だった。
じゅんさんは、めきめき上達していった。
強力さんと身長も近いので、私の足跡を踏むより
体にあうんだろう。
雨と風はどんどんきつくなっていった。
突風をかわすために立ち止まる事が多くなった。
8合目山小屋到着。
昨年はひぃひぃ泣きながら到着していたのに、
今回は軽口叩きながらの到着である。
「今年は頂上まで行ける」と確信した。
肉うどんを食って寝る。
起床予定の午後11時15分になっても呼びに来ない。
山小屋を誰かが高圧ホースで洗っているような雨。
雷も光っている。
午後12時。頂上アタック断念が知らされる。
そりゃ仕方ないだろう・・。
また来年・・・・。(げろげろ)
山小屋のオイルサーディン状態で、2時間仮眠は何度もしたが、
朝まで寝るのはさすがにこたえた。
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