なんだか泣きそうだ。
2003年8月19日はじめて勤めた会社の野々村社長と、
メインスポンサーの大手訪販化粧品会社の社長は、
仕事を超えたつきあいをしていた。
そのころからおじいさんの二人は、
昔はさぞかしダンディーだったんだろう。
ジャズが好きで、女が好きで、仕事の出来る人たちだった。
時は移り、会社を二つぐらい代わり、独立したころ、
大学時代の後輩がダンナと離婚し、
会長秘書という仕事に就いた。
話を聞いてみると、その会長というのは、
あの大手訪販化粧品会社の社長のことだった。
今は、会長職に退き、悠々自適の生活らしい。
大きな都会だと思っていても世間は狭いものである。
野々村さんとも年賀状程度のつきあいだし、
その会長とは、ほとんど面識もないので、
ま、偶然というものはあるものだなぁ。
という程度のお話ですんでいた。
昨日彼女から、連絡があり、
会長が亡くなられたということだった。
11日に亡くなり、13日に家族で密葬。
彼女は、すでに聞かされていたが、
昨日社内で発表、本日新聞広告ということである。
前から、調子が悪い。ということも聞いていたし、
野々村さんとは、会長職に退いて以来、交流も途絶え、最近、会長は野々村さんのことを気にしていたということも、聞かされていた。
会社の名簿には野々村さんの連絡先は残されていないらしい。
彼女は、会長を気に入っていたし、野々村さんの事も良く聞かされていたし、ぼくの師匠であることも知っていて、連絡を取った方がよいのでは?と気を利かせてくれたようだ。
はっきり言って、あっしには関わり合いのないこってござんす。
などといいながら、野々村さんに電話してみた。
声を聞くのは、もう10年ぶり以上である。
亡くなられたことをご存じなかった。
ありがとう、こっちから連絡しておく。
とのことであった。
電話を切った。
そして、しまった。と思った。
いま連絡しても、野々村さんは、もう会長に会えないのである。
調子が悪い、野々村さんのことを気にしている。
という話の時に、お節介でも連絡をしておけば、
会長も心おきなく旅立てたかもしれない。
野々村さんも、もっと気持ちが整理できたかもしれない。
今頃電話しても、遅いのである。
じいさんが死んだときも失敗した。
家族が死ぬなんて、身内の頭の中には回路が存在しないのである。
ひょっとしたら死ぬのかも。と思ったとたんに病院から連絡が来て、結局死に目にはあえなかった。
すげぇなぁ〜と思っていた人たちが去る。
それはなんだか、
自分一人が取り残されたような
いままであって当たり前だったものが消えるということは、
全然目にしていなかったものであっても、
なんだか・・
バイクに乗って帰りながら、
なんだか泣きそうだ。
慣れないコンタクトを入れているせいに違いない。
メインスポンサーの大手訪販化粧品会社の社長は、
仕事を超えたつきあいをしていた。
そのころからおじいさんの二人は、
昔はさぞかしダンディーだったんだろう。
ジャズが好きで、女が好きで、仕事の出来る人たちだった。
時は移り、会社を二つぐらい代わり、独立したころ、
大学時代の後輩がダンナと離婚し、
会長秘書という仕事に就いた。
話を聞いてみると、その会長というのは、
あの大手訪販化粧品会社の社長のことだった。
今は、会長職に退き、悠々自適の生活らしい。
大きな都会だと思っていても世間は狭いものである。
野々村さんとも年賀状程度のつきあいだし、
その会長とは、ほとんど面識もないので、
ま、偶然というものはあるものだなぁ。
という程度のお話ですんでいた。
昨日彼女から、連絡があり、
会長が亡くなられたということだった。
11日に亡くなり、13日に家族で密葬。
彼女は、すでに聞かされていたが、
昨日社内で発表、本日新聞広告ということである。
前から、調子が悪い。ということも聞いていたし、
野々村さんとは、会長職に退いて以来、交流も途絶え、最近、会長は野々村さんのことを気にしていたということも、聞かされていた。
会社の名簿には野々村さんの連絡先は残されていないらしい。
彼女は、会長を気に入っていたし、野々村さんの事も良く聞かされていたし、ぼくの師匠であることも知っていて、連絡を取った方がよいのでは?と気を利かせてくれたようだ。
はっきり言って、あっしには関わり合いのないこってござんす。
などといいながら、野々村さんに電話してみた。
声を聞くのは、もう10年ぶり以上である。
亡くなられたことをご存じなかった。
ありがとう、こっちから連絡しておく。
とのことであった。
電話を切った。
そして、しまった。と思った。
いま連絡しても、野々村さんは、もう会長に会えないのである。
調子が悪い、野々村さんのことを気にしている。
という話の時に、お節介でも連絡をしておけば、
会長も心おきなく旅立てたかもしれない。
野々村さんも、もっと気持ちが整理できたかもしれない。
今頃電話しても、遅いのである。
じいさんが死んだときも失敗した。
家族が死ぬなんて、身内の頭の中には回路が存在しないのである。
ひょっとしたら死ぬのかも。と思ったとたんに病院から連絡が来て、結局死に目にはあえなかった。
すげぇなぁ〜と思っていた人たちが去る。
それはなんだか、
自分一人が取り残されたような
いままであって当たり前だったものが消えるということは、
全然目にしていなかったものであっても、
なんだか・・
バイクに乗って帰りながら、
なんだか泣きそうだ。
慣れないコンタクトを入れているせいに違いない。
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