電車に乗りながら

2001年8月23日
久しぶりに電車に乗った。
ATCへの地下トンネルが90ccのバイクでは通してもらえないから・・
で、大阪港までバイクで行ってふた駅だけ電車に乗った。

電車に乗ると、哲学してしまったりする。

ボクにとっての、他人っていうのは、どんな感じなんだろう?

最近、"閉じてる人"とか、"恋愛恐怖の人"とか、いろんな人にあうので、ときどき、「自分の方がおかしいんじゃないか?」などと考えたりもする。

自省・反省は大事なことだ。

前にも書いたと思うけど、
自分のことに決着をつけてから、自分のことには悩まなくなった。(くよくよしたりはします。)

自己完全一致って言うんでしょうか?
「自分のことを良いことも悪いこともひっくるめて全部理解してくれる人が、ひとりいる。」
「それは、自分だ。」
というバカみたいな事が、自分の支えであったりするのです。

で、そのあとに続いたのが、
「自分は済んだ。よし、他人との組み合わせに進もう」
でした。

まず、自分をキチンと表現できるようにしよう。
そのために、大きな声でしゃべれるようになろう。
と、お芝居のサークルに参加した。
・・・はまった。

で、はまり続けたまま、こんなトシになった。
(表現手段は、どんどん変わって行っているけど・・。)

だから、ボクにとっての他人は、「お客様」から始まっているのかもしれない。
不特定多数の人にどう受け取られるか?どう、わかってもらうか?
というところから、始まっている。

もちろん、芝居ばっかりしてたわけではないので、個人生活もある。

ただ、自分の回りにかなり、広いスペースが最初からあった。

「観客」という範囲のある程度広いスペースに「他人」が存在してた。

「他人」は、自分の回りを自由に歩き回っている。

自分もその中を歩いている。

歩いていると、いろんな人に出会う。

同じような方向に歩いている人とは、長いつきあいにもなる。
歩いている方向が同じだからだろう。

いろんな人とすれ違うこともある。

気の合う人とは、立ち話もする。

宴会になることもある。

あんまり、たくさんの人が群がってきたり、完全にしがみつかれたりすると、自分が歩けない。

歩ける程度の距離は必要だ。


家族とは、常に方向を話し合って、つかず離れず、同じ方向に向かって歩いている。

自分の身の回りの「社会」ってこういうイメージだなぁ。

ってところで、電車を降りた。
所詮、ふた駅だった。

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